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2009.09.18UP

ピュリツァー賞受賞作、『倒壊する巨塔』を読む。

8月25日(火)

ピュリツァー賞受賞作、『倒壊する巨塔(上・下)』を読む。

 ウェイン・クラマー監督の『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』の副題にあるICE(移民・関税執行局)は、9・11以後に新たに設置された国土安全保障省の傘下にある。デイヴィッド・ライアンの『9・11以後の監視』(田島泰彦監修/清水知子訳/明石書店/2004年)では、「国土安全保障省の任務は、予防、防衛、アメリカ国内のテロリズム対策といった前代未聞のものである」と説明されている。

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『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』(C)2008 The Weinstein Company, LLC All Rights Reserved 9月19日(土)東宝シネマズ シャンテほか全国ロードショー

 『正義のゆくえ』には、世界各国からやって来た様々な移民が登場する。そのひとりが、バングラデシュ出身の敬虔なイスラム教徒の高校生タズリマだ。ある日、授業で自分の論文を発表しようとした彼女は、「メディアは9・11の実行犯を怪物や殺人犯と決め付けるけれど、人間扱いすべきです」と発言し、クラス中から激しい批判を浴びる。その晩、彼女の家はICEとFBIの強制捜査を受ける。テロを支持する危険分子をみなされたタズリマは、不法滞在者として(彼女の弟と妹はアメリカで生まれたため市民権があるが、彼女は3歳でアメリカに来た)拘束されてしまう。そして、タズリマと一家に三つの選択肢が提示される。「家族全員で自主退去する」か、「強制退去になる可能性が高くても裁判で争う」か、「タズリマと両親のどちらかがアメリカを去り、家族が離れて暮らす」か。

 ライアンは『9・11以後の監視』のなかで、相互信頼という社会の基盤が損なわれていく状況を「疑いの文化」の台頭というように表現している。以前このブログで取り上げた『扉をたたく人』やこの『正義のゆくえ』からは、そんな疑いの文化が浮かび上がってくる。ちなみに、このことについては、『正義のゆくえ』の劇場用プログラムに書いた。

 9・11に至る長い道のりを、膨大な資料分析と綿密な取材に基づいて描き出したローレンス・ライトの『倒壊する巨塔 アルカイダと「9・11」への道(上・下)』(平賀英明訳/白水社/2009年)では、徹底して人間が掘り下げられていく。

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 ライトの独自の視点は、下巻の終盤に出てくる以下のような記述によく表れている。「当然の疑問だが、もし仮に、状況の舵取り役をつとめたのがビンラディンでなかったら、果たして「9・11」に類似した悲劇は起きていただろうか。これは明快に答えることがなかなかに難しい問いかけである。なるほど歴史という地殻プレートは、西洋どうしが相争う時代から、アラブ・ムスリム世界を震源とする方向に移動しつつあった。だが、今回の戦いの様相を決定づけたのは、そうした大状況ではなく、ごく少数の個人がもつカリスマ性と構想力だった」

 つまり、この物語は必ずしもサミュエル・P・ハンチントンの『文明の衝突』(鈴木主税訳/集英社/1998年)の延長線上にあるわけではない。ビンラディンが何人かのカリスマ性を持った人物と出会うことがなかったら、事態はまったく異なる方向に向かっていたかもしれない。

 本書のプロローグは「アルカイダという物語は、それほど遠くない過去に、事実上アメリカという土地で始まったのだから」という一文で締めくくられ、第一章のサイイド・クトゥブのアメリカ体験へと繋がっていく。エジプトで最も人気のある作家のひとりで、熱烈なエジプト国粋主義者にして反共主義者、のちのイスラム原理主義の源流とみなされるクトゥブは、1940年代末にアメリカに渡った。筆者にはこの章だけでも十分に興味深い。なぜなら彼が目の当たりにしたアメリカとは、拙著『サバービアの憂鬱』の前半で描いた大量消費時代のアメリカだからだ。「アメリカン・ライフにおける疎外の問題は、戦後のうかれ騒ぎに暗雲を投げかけようとしていた。クトゥブの分析は粗雑なものだったけれど、むしろ多くの点で、時期尚早だったにすぎない」

 本書にはビンラディンはすぐには登場しない。エジプト政府に弾圧され、殉教者となったクトゥブからその精神を継承したアイマン・ザワヒリへと、エジプトが掘り下げられていく。「いわゆる「9・11」同時多発テロは、じつはエジプトの刑務所で生まれたという説がある。カイロで人権擁護運動に携わる人々は、拷問は復讐への渇望を生みだすと力説する。最初がサイイド・クトゥブであり、次がアイマン・ザワヒリたちクトゥブの弟子たちだと。これら囚人の怒りの矛先はもっぱら世俗主義のエジプト政府に向けられたが、収まり切らない憤怒の念は西洋にも向かった」

 ビンラディンが出会う最初の重要人物は、パレスチナ出身の学者/聖職者アブドゥッラー・アッザームといってよいだろう。ビンラディンはアフガニスタンの大義と関わるうえで彼から多大な影響を受けた。筆者の記憶が正しければ、アダム・ロビンソンの『テロリスト 真実のビン・ラーディン』(久保儀明訳/青土社/2002年)では、アッザームが、事故で父親を亡くしたビンラディンにとって、父親的な存在になったと書かれていた。

 しかし、やがてふたりの間に溝が生まれる。ムスリムの結束を妨げている民族対立をなくそうとするアッザームに対して、ビンラディンがアラブ人だけの恒久的軍事基地を作る計画を進めていたからだ。そして、そこに絡んでくるのが、アイマン・ザワヒリだ。金とコネを必要とするザワヒリと生涯をかけて追求すべき大義を必要とするビンラディンの利害が一致し、ビンラディンは変貌を遂げていく。「若きサウジ人(=ビンラディン)のほうは、献身的なサラフィー主義者ではあったものの、政治思想家としては大したことはなかった。ビンラディンはザワヒリに出会うまで、自国政府やあるいは他の抑圧的なアラブ系政権に反対の声をあげたことがただの一度もなかった」

 そこで、アッザームとザワヒリの間に、ビンラディンの争奪戦が起こる。「注目すべきは、この時点において、三者の標的リストにアメリカ合衆国がいっさいふくまれていない点であろう。ビンラディンが立ち上げた「先駆者」集団は、もっぱら共産主義者との戦いを想定したものだった」

 そして、このアルカイダの方向を変えるのが、アブー・ハジェルだ。彼は、イラク軍の元技術士官で、アフガニスタンでザワヒリ率いるジハード団に合流し、スーダンでビランディンの側近になった。「アルカイダという組織を、ビンラディンが当初構想した反共イスラム軍から、アメリカ相手に特化したテロ組織へと方向転換させた元凶こそ、アブー・ハジェルに起因する宗教的権威だったのだから」

 このようにしてビンラディンはビンラディンになっていく。しかし、本書は急進的イスラム主義者だけを追いかけているわけではない。一方では、ビンラディンとFBIのジョン・オニールというふたりの人物が対置されている。オニールは、ビンラディンをとらえ、9・11を阻止する資質を備えた捜査官だったといってよいだろう。本書では、このふたりの家族や女性関係までもが克明に描かれている。

 ビンラディンには複数の妻と家族があり、彼らの前では別の顔を見せていた。オニールには妻子がいたが、それを知る人間はほとんどいなかった。そんな彼は、シカゴやワシントンに次々と恋人を作り、それぞれの女性にあわせて異なる生活スタイルをとり、結婚の約束までしていた。「なんとも奇妙な形ではあったが、彼の複雑多岐にわたる女性遍歴は、彼が必死で追跡するウサマ・ビンラディンとどこか通底するところがあった。重婚を許容する文化のもとで生きていたら、オニールはたぶんハーレムを築いていただろう」

 著者のライトは、映画『マーシャル・ロー』の原案・脚本を手がけた想像力豊かな作家でもあり、ビンラディンとオニールの対置は、ノンフィクションという枠組みを超えた興味深い物語にもなっている。ビンラディンは国家や国境を超えた出会いのなかでビンラディンになっていく。一方、ビンラディンというターゲットに迫るためには手段を選ばないオニールは、周囲に多くの反感を生み出し、それが捜査の妨げになる。CIAはアルカイダの活動に関する重要な情報をオニールに提供しなかった。イエメンのアデン港に停泊していた駆逐艦「コール」に対するテロ事件では、オニールとイエメン大使バーバラ・ボーディン女史の対立が捜査の妨げになった。2001年8月22日にFBIを退官した彼は、その翌日から世界貿易センターの保安主任となり、9・11で殉職する。

 先ほど本書はハンチントンの『文明の衝突』の延長線上にあるわけではないと書いたが、このふたりの対置にはそれを思い出させるものがある。『文明の衝突』では、西欧とイスラム世界における政治的な忠誠の構造の違いがこんなふうに説明されている。忠誠の対象を、家族、一族、部族などの狭い実体、中間に位置する国民国家、そして宗教や言語のコミュニティというさらに広い実体に分けた場合、西欧の忠誠は中間の国民国家で頂点に達する傾向にあるのに対し、イスラム世界では、中間が落ち込み、部族と宗教に対する忠誠が決定的な役割を果たす。

 それをそのままビンラディンとオニールに当てはめるつもりはない。だが、著者のライトは、ふたりの人物を徹底的に掘り下げることによって、彼らが属する世界の違いを鮮やかに浮き彫りにしている。

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大場正明(評論家)
1957年神奈川県横浜市生まれ。中央大学法学部卒。映画、音楽、書物その他の評論。著書・編著書は『サバービアの憂鬱』『CineLesson15 アメリカ映画主義』など。趣味は登山、写真、料理。
大場正明 HOMEPAGE http://c-cross.cside2.com
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