#39 「上をぶち抜こう」という奴らは、ああいう街から出てくる (永沼忠明)
1.ポールと同じ仕様にカスタマイズされたリッケンバッカー・ベースで演奏。レパートリーはビートルズ、ウイングス、ポールのソロを合わせて400曲以上にもおよぶ。
2.1990年にポール・マッカートニーが来日した際にもらったサイン。「キャヴァンにポールのバンド・メンバーやスタッフが遊びに来て、楽しんでくれて。彼らに、僕が次の日にコンサートを観に行くことを言ったら、ぜひマッカートニーに会いに来てくれって言われましてね。東京ドームのVIPルームで会わせてもらいました。もう頭は真空状態です。ポールに、君は『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』は演奏するのか、と聞かれたので、毎日歌ってますと答えました。そしたら『あれはいい曲だよ』。なんだ自慢かよ!って(笑)」
3.93年にはクルーたちといっしょに福岡まで移動し、市内のホテルに宿泊中のポールとリンダに会った。そのときの記念写真。写真2のサインとともに、六本木のキャヴァンクラブで見ることができる。
4.元ウイングスのデニー・レインと(左)。「2006年1月のアラン・パーソンズ・ライヴ・プロジェクトとの来日公演中、キャヴァンクラブに二夜にわたってツアーメンバーと立ち寄ってくれたんです。『ゴー・ナウ』『夢の旅人』『恋することのもどかしさ』をいっしょに歌い、朝まで飲み明かしたことは生涯忘れられません」。デニーがかつて所属していたムーディー・ブルースのCDにサインももらった(右)。
自分にとって運命の出会いは、ウイングスのポール・マッカートニーです。中学生のとき、『バンド・オン・ザ・ラン』とかの頃かな。一発ではまった。ビートルズは僕らの先輩の世代のものでしたけど、ウイングスはリアルタイム。「これは俺のもんだ」って思えた。新しいレコードが出ると聞けば店で予約したり。そうこうしながら、ポールを知る前に先輩に聴かせてもらったりしてたビートルズに、改めて遡っていったんです。
リヴァプールには、ビートルズ・コンベンションに出演するために、ウィッシングというバンドで1997年に行ったのを最初に4回ほど。ビートルズが出ていた頃の場所からは移転してますけど、キャヴァーン・クラブで演奏しましたよ。レンガ造りで、暑いのひと言。人もたくさん入ってたし、すごい湿気で、酸素がかなり薄くなる。歌ってても苦しいんですけど、そのときはアドレナリン出まくりでわからないんです。お客さんも盛り上がって、やめさせてくれないしね。ライブが1回終わって、タバコを吸おうとしたらライターがつかなくて、「酸素がない!」(笑)えらいことですよ。
1回目の出演で高く評価していただいて、2回目の出演時はストロベリー・フィールドで行なわれたガーデン・パーティのライブのトリをやらせていただきました。あの門の中の広い庭を見た人は、あまりいないんじゃないですか。そのときは15バンドくらい出たのかな。出店なんかもあって、お客さんは1000人くらいいたと思います。子どもたちは遠足か何かに出かけて、建物はからっぽ。中は幼稚園みたいな感じで、お絵描きが貼ってありましたね。「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が持つ幻想的な雰囲気、それはそれとして、実際の場所を見ると、あの曲にまた別のイメージがわきました。
感じるものがあったのは、リヴァプールの港ですね。そこで自分も1曲作っちゃったりしたくらい。失業率が高い土地なので、それなりに寂れてるんです。一度栄えて、衰退していった街。ああいう場所だからこそ出てくるんだろうなって思います。「上に行こう」じゃなく「上をぶち抜こう」っていう、ビートルズみたいなのがね。
取材・文/鳥居一希
永沼忠明
ミュージシャン
1982年、六本木キャヴァンクラブでビートルズ・カバーバンド「レディ・バグ」の一員としてデビュー。以来、所属バンドをウィッシング〜ザ・シルバービーツと変えながら、25年間レギュラー出演を続ける。97年、ウィッシングでリヴァプールのビートルズ・コンベンションに参加。98年、再びアジア代表としてコンベンションに招待され、アデルフィー・ホテルのメインステージなどで演奏。その功績を認められ、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオでオリジナルCDのレコーディングも行なった。ザ・シルバービーツとしても2006年、07年にコンベンションに参加したほか、07年4月、ザ・キラーズのUSツアーにオープニングゲストとして招待され、マジソン・スクエア・ガーデンを含む6公演に出演。08年1月にはワシントンDCの老舗クラブ「9:30」で初のメイン公演が実現、8月9日には東海岸最大のヴァージン音楽祭に出演を予定している。ソロ、オリジナルほか、さまざまなユニットでも精力的に活躍中。
公式サイト http://projectlib.com/dada/






