植草甚一生誕100年企画 第1回「ジャズ」『ぼくは散歩と雑学がすき』。長いタイトルと不思議なリズムの文章が新鮮だった。後藤健夫 文 内藤忠行 写真 植草甚一(左)と日野皓正(右) ニューヨークにて
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PROFILE
後藤健夫 Takeo Goto 編集者
1952(昭和27)年東京生まれ。大学在学中から「anan」「平凡パンチ」のライターとして活動し、卒業後は平凡出版社(現マガジンハウス)に入社、「POPEYE」創刊スタッフとなる。マガジンハウス退社後は、「All Right」「Lightning」などの編集長を歴任。『ボーイズ・スタイルブック』『ボーイズ・マナーブック』(講談社)など著書も多数あり。

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植草さんの気になる本
「男はいつまでも少年の心を持ち続けるものだ。その代表選手が“ファンキーじいさん”植草甚一だろう。映画にジャズにディテクティブ・ストーリーにと、氏の趣味の広さはすさまじい。そして何よりも特筆すべきことはそれらが、どれも専門的であり、常人の域を脱しているということだ」
 
 雑誌「POPEYE」の第9号(1977年)の『フォーラム』の記事。創刊号から130余号まで在籍した「POPEYE」で、ボクが植草甚一さんのことを書いた、これが、最初で最後の記事だ。
 大学卒業してすぐの青年(ボクです)の原稿は、約600字。“氏”なんていう表記、使ってたんだねえ。今、ちょっと照れくさい。
 
 ちなみに、この文章は『ぼくのすきな外国の変わった漫画家たち』についての紹介が目的。
 1971年に発行された同書のことを1977年に? 「POPEYE」って情報誌じゃなかったの? という疑問は当然。でもね、創刊2号から『フォーラム』を構成していた(創刊号は全部が西海岸特集でしたからね)ので、自分の好きなことをページにすることをが許されていたから。
 
 新刊でなくとも植草甚一さんの本を紹介するのは当たり前のことだった。
 しかし、「POPEYE」の創刊と同じ年に全集『植草甚一スクラップ・全集』の刊行が開始されたので、その『ぼくのすきな外国の変わった漫画家たち』も復刊されることをリリースで知っていたから紹介したのかもしれない。
 植草甚一さんのことは「平凡パンチ」で育った世代ですからね、著書を読んでいたし気になる存在だった。
 最初に読んだのは『ぼくは散歩と雑学がすき』。長いタイトルと不思議なリズムの文章が新鮮だった。
 
『ぼきは散歩と雑学がすき』晶文社 『ジャズの前衛と黒人たち』晶文社

『ジャズの前衛と黒人たち』
 アイビーに代表されるアメリカ文化を教えてくれたのが「MEN’S CLUB」とVANだとしたら、アメリカのサブカルチャーを教えてくれたのは植草甚一さんだった。
『ぼくは散歩と雑学がすき』の中で、古本屋で買ったアメリカの分厚い雑誌たちを、帰りに喫茶店で広告を引きちぎって薄くする話が印象的だった。
 ボクは中学3年生のときから「PLAY BOY」(もちろんアメリカ版です)を見ていた(読んではいませんでした)。当時、霊南坂に住んでいたので、六本木の誠志堂の古書部(交差点を挟んで斜反対にあった)で買い求めた1960年代の「PLAY BOY」は、確かに分厚かった。特に12月号。植草甚一さんが引きちぎったのは大判時代の「Esquire」のことだろうが、まだ、見ていなかった。
 
「POPEYE」の取材でアメリカに行くようになって集め始めたけど、そんなに広告が多いわけではないと思う。むしろ、当時のクルマや航空会社の広告なんて捨てるのはもったいないと考えるのは編集者だからか。植草甚一さんの興味は、あくまでも文章を通じたアメリカだったのかもしれない。
 植草甚一さんの最初の著書は『ぼくは散歩と雑学がすき』だと思っていたが、その前、1967年、本格的な最初の単行本『ジャズの前衛と黒人たち』を刊行している。
 これは1958年に連載を開始した『モダンジャズ・ファンの手帳』と題された「Swing Journal」でのジャズ評論をまとめたもの。
 チャーリー・ミンガス、セシル・テーラー、マイルス・デイビスなどなど、植草甚一さんのモダンジャズへのラブレターだ。
 
 「僕はジャズは勉強なのだと確信しているし、ジャズを聴いているとき一番いいことは、なにかこう他の勉強に取り掛かりたいという強烈な推進力を与えてくれることだ」
 
 という一文が凡百の評論家とは異なる論調で新鮮だった。
 その連載のきっかけを作ったのは久保田二郎さん。この男も怪人。植草甚一さんとは仕事はもちろんのこと会ったことすらないが、久保田二郎さんは隣の編集部だった「BRUTUS」で何回か見かけている。
 その久保田二郎さんの著書『手のうちはいつもフルハウス』での植草甚一さんの記述が面白い。章名は、ススキノ・アフター・ダーク。
 
「このなんともイライラするゲームに凝ってるんだなー甚ちゃんが。(中略)甚ちゃんはと見てみれば、先ほどから、いやもう1時間ぐらい前から同じ位置、同じポーズでヒクとも動かない。両足の間には、もうはや蜘蛛の巣が張り出しつつあるという具合。この人、このまま即身仏になっちゃうのじゃないかとも思われる無窮動振り」
 
 ゲームセンターでのコイン落としに挑んでいる植草甚一さんの様子を記しているのだけど、何かに興味を持つと徹底しちゃう植草甚一さんがわかる。モダンジャズだって、聴き出したのは1956年だという。
 たった2年間で連載を始めてしまうなんて、コイン落としと同じように集中したんですね。
 1995年、「太陽」で植草甚一さんの特集が出た。サブタイトルは“70年代、J・Jは街の神様だった”。
「POPEYE」のキャッチフレーズは“マガジン・フォー・シティボーイズ”であり、なぜ、この神様を特集しなかったのかと悔やまれる。
 ボクにとっての最初で最後だった植草甚一さんの記事、この中で「男はいつまでも少年の心を持ち続けるものだ」というフレーズに、街の神様の“あり方”を表現していたのかもしれない。
 ジャズに熱中し、コイン落としゲームに集中する、こういのって少年じゃなきゃできませんもの……。

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