PAL...MEMORY OF AHMET ERTEGUN アーメット・アーティガンの思い出

文/マチ・ロジャース
クイーンのヴォーカリストとして活躍し、今回のトリビュートコンサートにも出演したポール・ロジャースの元夫人である筆者は、アーメット・アーティガンとも親交が深かったという。彼女の記憶のなかからとっておきのエピソードを書き綴っていただいた

アーメットは、いつも口癖の様に「マチは僕のパル」と、言っていました。

Palという言葉がとてもお気に入りだったアーメット…アーメットが米国からロンドンに来た時には、必ず私達夫婦と夕食を共にするのが恒例でした。行く先は毎回中華料理店で、料理の注文はいつも私が任されていました。

 或る時、「そんなに中華が好きなの?」と私が訊くと、「好きというより中華だと丸いテーブルで皆と話しやすいし、料理も譲りあったり楽しいから」。アーメットは格式や有名なレストランは苦手でした。美味しくて楽しければガード下の焼き鳥屋の長い行列にも並ぶ、そんな人でした。

 そんなアーメットと食事をしていた時の事です。突然、お花を沢山抱えた花売りがレストランに入って来て、お店の支配人につまみ出されました。それを見ていたアーメットは、外に行きその花売りのお花を買い占めたのです、そして、その花束を抱えたアーメットは、レストランにいた女性客全員にお花を配り始めました。そんな事をしても嫌味ではなく皆を笑顔に誘う…そんな人柄でした。

 彼は、いつも一人で行動をしていました。或る時、ジプシーの中に歌の上手な人が居ると聞いたアーメットは、其の人に会う為に山の中に入ったそうです。一人歩く山道は、少し怖かったと云います。「大丈夫だったの?」
「大丈夫だったよ、袋に山の様に小銭を詰めて目的地までばら撒いて歩いた」
「余計危ないじゃないの」アーメットは冗談が大好きでした。

 私のお誕生日には、多忙の中、ニューヨークからコンコルドで駆けつけてくれたアーメット。卓球したり、ダンスしたり楽しかった思い出は尽きません。

アーメットのおはこだったエピソードをお話しましょう。

 アーメットがレコード会社をお兄さんと設立しようと思ったのは、ビリー・ホリデイの歌を毎晩クラブに聞きに行った事がきっかけです。まだ十代だったアーメットは酒場でミルクを飲みながら聞き惚れていたそうです。或る晩、そんなアーメットに気づいたビリーホリデイが「坊や、今晩私を送って頂戴な」
と言ったそうです。その言葉に喜び勇んだアーメットは、なけなしのお金でタクシーを拾い彼女を送り届けました。でも、帰りのタクシー代のないアーメットは遠い道のりを歩いて帰ったそうですが、心は弾み足は踊り、そして「彼女の素晴らしい歌声を世界中の人々に聴かせたい」と、切実に思ったそうです。

 その時の話をする時のアーメットの顔は、少年の様に紅潮し高揚した想いが手に取る様に私にも伝わってきました。その音楽に対する真摯な心は、生涯失わずに持ち続けたアーメットでした。レコード会社の資金は、歯医者さんに借りたというので、「何故?歯医者さんなの?」と、聞くと「だってマチ、歯医者はお金持ちじゃない?」「なんだ、そんな簡単な話なの?」と大笑いしたのが昨日の事のようです。

 アーメットは、本質を見極められる人物で本物の価値観を持った頭の良い、優しい素晴らしい人間でした。そして、 アーメットは私の大切なPAL(仲よし)でした。(了)


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