
文/亀渕昭信
1962年、20歳の筆者は助手としてラジオ放送局のアルバイトを始める。ちょっとマニアックなR&Bレーベルという印象のアトランティックだったが、ラジオの仕事が長くなるにつれ、筆者の心の中でとても大きな存在を占めるレコード会社になっていった
アトランティックレコードがラジオから流れた日
・・・ということはつまり、アトランティック・レーベルのレコードが、初めて日本のラジオでかかった時はいつか?そしてその曲とはなんぞや?ということ??
こたえは簡単・・・「すいません、ゴメンナサイ、わかりません」です!?!
でも、僕がラジオの仕事をする前や、その後の、アトランティック・レーベルとのかかわり合いなら、少しはお話し出来そうです。そんなことで、お許しを。
放送&音楽業界には「ヒット曲または人気アーティストの音源について、放送解禁日の取り決め」なんていうのが秘かに存在していて、抜け駆けのON AIRはダメよということになっています。
勿論、これは有名アーティストの場合だけ。新人だったら、じゃんじゃん放送しても問題なし。
ずいぶん古い話になるけれど、ぼくがラジオ放送の現場にいた60年代中頃から70年代中頃までの間、一つのグループを除いては、ほとんど自由競争でON AIR出来ました。そのグループとは、そう、ザ・ビートルズ。彼等の新曲を発売前に手に入れ、ON AIRするのは、なかなか大変なことでした。
アトランティック・レーベルが日本に紹介されたのは、それよりも15年ほど前、1950年代のこと。
アーメット・アーティガンとハーブ・エイブラムソンによって1947年創立されたアトランティック・レコード、英国LONDONレーベルを通じて日本に配給され、キング・レコードが発売していました。
話はコロッと変わるけれど、MTVなんかなくって、洋楽はラジオでしか聴かれなかった時代。たいていクラスに4〜5人ぐらいしかいなかった、それも男の子が多かった、洋楽好きの子供達は、ヒット・パレードのチャートを毎週ノートにつけるのが習慣でした。あなたもそうでした?実は、僕もそうなんです。
何故かいまでも大事に持っている僕の音楽ノート、最初のページは、1956年3月10日、第1位はケイ・スターが歌う「ロックン・ロール・ワルツ」。
ビルボード・マガジンが「HOT100」チャートを始める前、「Honor Roll Of Hits」という名でヒット・チャートを発表していた頃のこと。
その頃、わたしゃ、14歳、紅顔の美少年。いまは65歳、厚顔のおじちゃん、まぁ、長生きしたものです、ハイ。
寄り道しないで話を進めましょ。
「ロックン・ロール・ワルツ」は、タイトルにロックン・ロールとつくけれど、レッド・ツェッペリンの「ロックン・ロール」なんかをイメージしてはいけません。
「どうもロックン・ロールという音楽が若い奴らに人気らしい」ということで、ワルツ仕立ての曲の中にあと打ちと三連符のビートを加え、ロックン・ロールらしく仕立て上げたというポピュラー・ソング。
歌の内容も、十代の女の子がいつもより早く家に帰ると、両親が娘のロックン・ロール・レコードをこっそり引っ張り出して、二人でダンスを踊っていた。それもワルツのステップで・・・という、いま思えば、いかにも当時のアメリカ中産階級の歌、という雰囲気。
発売レーベルは老舗RCAビクター。正に保守中道路線のアメリカを代表するレコード会社と思いきや、ところがどっこい、この約2か月後のナンバー1は、同じRCAビクターから発売されたエルビス・プレスリーの「ハートブレーク・ホテル」。保守中道どころか革命でした。ここから、皆さんご存知、いまでも続くロックン・ロールの歴史が始まるのです。
おっと、今日は「ロックの歴史」の話ではないので、あまり学研的になってもなんですからして、アトランティック・レーベルは、どうした!の話に戻りましょう。
僕もあとになってから知ったことですが、この時代のアトランティックは軌道修正の真っ最中だった。
ブルース盤中心の発売が多かった営業方針を拡大。アーティガンさんの兄ネスヒがジャズ・レコード部門を、そしてビルボード・マガジンの優秀なエディターであったジェリー・ウェクスラーがメンバーに加わりロックン・ロールのプロト・タイプでもあるリズム&ブルース部門を手がけ、創始者の一人であるエイブラムソンは、子会社となるアトコというロックン・ロールやポップ・レコード中心のレーベルを立ち上げます。
バッファーロー・スプリングフィールドやニール・ヤングのファンの方なら、アトコ(ATCO)レーベル、ご存知ですよね。
アトランティックの子会社だからアトコ(アト子)と思ったら、ATLANTIC RECORDS COMPANYのATとCOをとってATCO、そりゃそうです、英語です。
ちなみにニューヨークからカジノがあるニュージャージー州アトランティック・シティーに行く途中に、なんとATCOという町があるのです。これ、ほんとのこと。Google Mapでどうぞ確かめて!
そしてレパートリーを増やすため、自分たちだってそんなに大きくはなかったのですが、より小さなインディー・レーベルのいくつかをM&A、この企業買収をキッカケにして1950年代の後半、アトランティックの屋台骨を支えるグル−プの一つ、コースターズが誕生し、スターになっていきます。
僕が初めて買ったアトランティック・レコードは、多分、クローバーズの「ラブ・ラブ・ラブ」(LONDON LED-11)、1956年のこと。野口久光先生の解説。Recorded By “ATLANTIC”とクレジットが入っています。
そしてその翌年の発売でしょうか、レコードの棚からコースターズの「サーチン」という45回転も見つかりました。アメリカでは、この曲、けっこうヒットしました。日本では、ゼンゼンでしたが、僕はお気に入りでした。
そしてこの45回転盤は、僕に大作曲家コンビ、ジェリー・リィーバー&マイク・ストーラーの名前を教えてくれ、興味を持たせてくれました。

- LED ZEPPELIN REVIVAL!
- AHMET ERTEGUN TRIBUTE CONCERT
- PAL...MEMORY OF AHMET ERTEGUN
- RADIO DAYS
- ATLANTIC RECORDS BEST 50
- DAZED AND CONFUSED
筆者が初めて買ったアトランティック・レコード、クローバーズの「ラブ・ラブ・ラブ」
いちばん下には“Atlantic”のクレジットが。日本盤の解説は野口久光氏
ジャズ関係が左側、R&B関係が右側に書かれた当時のスリーブ(左側の袋)
「Young Blood(ハイティーン気質)」のクレジットの右隅にCOSDEL社の名前が




