2008.11.06UP
話は前後するが、当時僕が通っていた明治学院のことを少し書こう。中学校の入学式だったと思うが、母親が一緒に来て、帰りに当時の目黒駅のロータリーの裏にあった「とんき」というトンカツ屋さんで食事をした。それまで食べていたうちのトンカツと違って凄くおいしかったのを覚えている。当時の目黒駅はまだ今のように奇麗ではなく、その「とんき」があったロータリーの裏の方の建物はバラックという感じで、飲み屋などもうらぶれた雰囲気で、まだ戦後を引きずっていた。
明治学院は港区の白金にあって、普通に行けば東横線で綱島から田園調布、そこで目蒲戦に乗り換えて目黒へ出て、そこから都営バスの大井競馬場行きに乗って、二本榎というところで降りる。当時の明治学院はバスを降りて正門をくぐり、高校の校舎を左に見て銀杏並木をあがって行くと古いチャペルが左手にあり、上りきると校庭の右手に外人の先生用の西洋館が何軒かあり、左手に古い3階建ての木造校舎があった。今思うとかなり雰囲気のあるこぢんまりした学校だった。生徒も50人クラスが4つで、年ごとのクラス替えで3年になるとほとんどの学友は知っているという家族的な学校だった。

僕ら東横線、目蒲線仲間は同じ電車で目黒駅に着いて、山手線で来る仲間と合流してバスで学校まで行った。当時は同じ路線に清心女学院と森村学園という学校があり、かなりたくさんの女子学生が乗っていて、2年生くらいになると「何時のバスにかわいい娘が居るぜ」といった情報が話題になるようになるが、入学当初はまだ友人達がどういうやつだか分らないので、そういう話題は出なかった。
明治学院はキリスト教の学校で、学校の教科に入っていた聖書の時間は教会に行くというのが点数に加味されるということがあって、僕も教会に行くことにした。まあ祖母が横浜の海岸教会で長老をやっていたのでそこに行くのが普通なのだが、学校の横浜の友人達は明治学院で教えていらした高谷先生という方の居る指路教会に行くというので、僕もそこへ行くことにした。東横線で桜木町まで行って、そこから伊勢佐木町方面へ歩いて10分位のところにある指路教会は、海岸教会ほどではないが、かなり古い教会だった。
学校の点数に関わっているということもあって、僕らはよほどのことが無い限り、毎日曜日指路教会へ行った。そういう事情だったから、僕らにとって教会へ行くこと=キリスト教信者になることではなかった。でも、僕らの日曜学校の先生が同じ学校の大学生だったこともあって、とてもアットホームな雰囲気で皆凄く楽しい時間を過ごせた。
まあひどい話だが、正直言って教会へ行く楽しみにいくつかの他の要素があったことも事実だ。先ず男子のみだった僕らの学校には居ない女の子に会えるということ。もちろん教会だから礼拝をして日曜学校のクラスへ出るのだが、そこは学校と違って男女合同。恋愛感情などはないのだが、女子と一緒というのが何とも嬉しかった。そして、もう一つの楽しみは教会の後での寄り道だった。
当時、伊勢佐木町の入り口に「森永キャンディーストア」というコーヒーショップがあった。僕らは教会の帰りにほぼ毎週そこで何かしら食べて帰った。時々は教会の女の子達も来ていて、一緒にお茶を飲んだりしたが、それ以上は何も無く女の子達とデートをするようになるのはもっと後だ。僕は山手の方に親戚があり、従兄の兄貴達と遊ぶほうが楽しかったので、時々は帰りにそこへ行ってグライダー作りやスクーターに乗せてもらったりした。
そのうち喫茶店でお茶するだけでなく、時々皆で映画を観に行くようになった。多分一番始めに皆で見に行った映画は石原裕次郎の"嵐を呼ぶ男"だったと思う。それは僕にとって初めて体験する大人の映画だった。小学生のときは学校から見に行く映画や、時々家族と行ったディズニーの映画くらいしか見たことの無かった僕は、映画で興奮する人がいるのをそこで初めて体験した。
今思えば、当時は裕次郎全盛期で映画館は満杯。人いきれと異様な興奮状態の中、映画の途中で"そこだ、やっちまえ"などとかけ声をかけるお客が居たのに驚いてしまった。そして映画が終わって、今度は自分が裕次郎になった気分で肩を怒らせながら歩いて帰っていくお客さんを見て、ああ僕も大人の映画を見たんだという実感を味わっていたのだった。

久しぶりにピーター・ボグダノビッチの映画『ラストショー』を観ました。
ラジオから流れてくるハンク・ウィリアムスの「Cold Cold Heart」、ハンク・スノウの「A Fool Such As I」など選曲も良いです。
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