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2009.05.14UP

#86 杏子「バンドが解散する理由はひとつじゃないと思う」

●ロンドンで震え、リバプールで熱気の渦に巻き込まれ

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――ビートルズとはどんな風に出会いましたか?

最初は音楽というよりも社会現象的にですね。小学生のときにテレビで、髪が長くてノイジーな音楽をやってる人たちが大旋風を起こしてる、って報道されてて。私がラジオで向こうのヒットチャートを聴き始めた中学生の頃は4人それぞれがソロでヒットを連発していて、エルトン・ジョンとかと一緒にランク・インしている人たちって感じで聴いてました。そのうち高校になって男子が楽器を始めて赤盤だ青盤だって騒ぎだして。私が好きだったのはジョージの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」。マイナー進行が好きなので(笑)。みんなが"ポール派? ジョン派?"みたいに言ってるときに、私はジョージが好きなんだけどでもそれが言えず(笑)。でもそんなにのめりこむ感じじゃなかった。千葉に住んでたのに何故か水戸FMが入って、当時の水戸FMってEL&Pやクリムゾンがかかっていたから、結構そっち系が好きになって聴いてたかな。でも、あぁやっぱビートルズだなぁ、と思ったのはバービーボーイズを経てソロになってから。レコーディングのときのありとあらゆること、ロックにストリングスを入れることとかの経典みたいで、学ばなければいけないっていうところから入りましたね。テキストみたいな感じで。

――オーガスタ(所属事務所)の社長はビートルズ・マニアで有名な森川(欣信)さんですからね(笑)。

そう(笑)。どうしてもリアルタイムで経験した人たちには追いつかない。あの世代の人たちは本当に社会と闘いながら、人生をかけて音楽を聴いてましたからね。ビートルズを見に行ったら退学や停学、そういう武勇伝を聞くだけで、"ダメだ、追いつけない"(笑)。男の子には楽器っていうツールがあって、そこから入れるからあまりそういうのは気にしないんだろうけど、私はどうしても社会現象から入ってるから、聴くべき資格みたいなところで追いつかない...っていう余計なことを気にしちゃって。でもそういうエピソードを社長に聞くのはめちゃくちゃ面白い。写真を見るとどの曲を歌ってるかわかるって言うでしょう。

――そうそう。いつどこのライブのどの曲を演奏している写真かわかるって言ってますよね。

それだけ少ない情報量の中で渇望してたっていうか、聴きたい聴きたい見たい見たいっていう思いでかぶりついて見てた。だから絶対忘れないし、音楽ってものに対してもっと真摯だった。私たちは豊富な情報量の中から選べるから、大雑把に聴いてるのかなぁ、って思っちゃう。特に私はあるミュージシャンやバンドに傾倒したり妄信するってことは今もほとんどないんですよ。ポールが成田でつかまったときは大学生だったんだけど、授業で先生が話題にしたら泣き出した女の子がいて、"え~っ?"っていう。

――80年ですね。その年の暮れにジョンが亡くなって。

そうですね。それは大学の寮と入間の駅を送迎するバスの中で運転手さんがかけてたFMラジオで聞いて、そのときも泣き出した女の子がいましたね。そういうところで泣ける人がうらやましかった。あんまり物事にキャ~ッ! てならないから、私は。いつも一歩外れて見てるから、そんなに好きなものがあっていいなぁ、って。

――でもバービーが解散してソロになってからずいぶんイギリスに行ってますよね。

それはひとえにうちの社長がビートルズ好きだから(笑)。3枚目のソロ・アルバムのTDをアビー・ロードでやったんだけど、あの第2スタジオに忍び込んだときはさすがに"うわぁ"って体が震えました。ちょうどクリスマス前後で、泊まっているフラットもアビー・ロードで。あの近くのポールの家も行った。ドアが開いて車が出てくるんじゃないか、ってしばらく見てた(笑)。そして97年に『TOKYO DEEP LONDON HIGH』っていうアルバムを土屋昌巳さんと一緒に東京半分ロンドン半分でレコーディングしたときに、ロンドンのラック・スタジオでジョン・ジェイコブズっていうミキサーとやったの。ジェフ・エメリックのお弟子さん。ちょうど『アンソロジー』が出たすぐ後だったかな。昔はエフェクターがなかったからビートルズはいろいろなものを使ってスタジオがもうラボみたいな感じで実験をしていたとか話してくれて、面白かったなぁ。既にあの頃日本は全部デジタルだったのに、ラック・スタジオには普通にアナログ機材があって、普通にメンテナンスのおじさんがいて。日本だとアナログ・レコーディングは前もって言っておかないと機材を借りられないんだけど、ラックでは同時期にレコーディングしてたCASTっていうバンドと取り合いになるくらいにいつも置いてある。だからやっぱり日本のシステムとの違いはすごい感じたかな。日本はどうしても最新鋭に行っちゃうから、古い機材を探すのが大変。ロンドンにはそういうものがちゃんと息づいてる。

――リバプールへは?

『イエロー・サブマリン〜ソングトラック〜』がリリースされるイベントの時に行きました。そのときはジョージもまだ生きてたから、ジョージ、リンゴ、ポールのうち誰か来るかもしれない、ライブをやるかもしれない、ってめちゃめちゃ噂がたってて。取材がらみで行ったんだけど、すごかった。キャバン・クラブの前もぐしゃぐしゃ。1日目は市民会館で『イエロー・サブマリン』が上映されたときにジョージ・マーティンが現れて、それさえも熱狂。次の日にガイドのライセンスを持ってるドライバーの車で、ここはだれだれの家で、ってコースを廻ったんだけど、何度もリバプールに来ている社長がおじさんが喋る前に全部言っちゃう(笑)、おじさんも"彼がいいガイドだね"って(笑)、あの歩いて行ける短い距離にあの天才ふたりが生まれたんだ、っていうのはびっくりでしたね。それもリバプールっていうなんでもない港町に。あそこに彼らを生まれさせたのって意味があるのかなぁ、と思ったり。

――ひと通り名所は廻ったんですね。

廻ったけど、なんだろう...もっと静かにもう一回見たい。撮影があったからいつもある種の緊張感があったし、行きながらレクチャーを受けるみたいな感じだったし。世界中からプレスが来ていて、かつ熱狂的なファンも多かったから、町中全部が原宿(笑)。そういう異様な熱気の中で廻ったから、リバプールの本当の空気感はもしかしたらわかってないかも。私の周りにいた人たちがみんなビートルズ通だったから、とにかくみんなが言うことを必死に聞いてメモる。昔ゴルフをやったとき、一打一打についてみんながレクチャーしてくれたときと同じように、もう頭がバースト状態(笑)。あれから10年たってるから静かにぷらっと行ってもいいかなぁ。

●常に止まらなかった、そして戻らなかったビートルズ

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――今になって思うビートルズの魅力はどんなところにありますか?

常に挑戦していたところじゃないですかね。音楽的にもそうだったし、社会にどんなに批判されても自分たちの意見を通してた。あれだけマスコミに追われて一言一言が問題になったりね。音楽だけではない、世の中と闘っていくところ。常に新しいことを音楽に取り入れようとしているスタイル。それがすごいなと思いますね。止まっていない感じ。あとお洒落のセンス。ファッションでも常にリーダーだったでしょ。

――オノ・ヨーコさんについてはどう思いますか?

何年か前にヨーコさんの特番がテレビであったんだけど、私ね、ヨーコさんはすごく強い女だと思ってたの。"あんな東洋人と結婚してなんだかんだって世界中から言われてるときにあなたはどうでしたか?"って訊かれたときに、私は一蹴すると思ったわけ。"大丈夫、私はそんなのなんとも思わなかった"って言うかと思ったら、"すごく寂しくてすごく切なくて、批判されることが恐くて哀しかった"って。あのジョン・レノンでさえ影響されてしまうオノ・ヨーコさんだからどれだけ強いんだろうと思っていたら、"すごく哀しかった"ってぽろっと言う。そういう部分も持ってるからジョンも惹かれたんだろうな。ビートルズが壊れてしまったのはオノ・ヨーコのせいだ、くらいまで言われていたでしょ? なのになんか愛しく可愛く思えて。で、02年のジョンのスーパー・ライブのときにお会いしたら本当にめちゃくちゃ可愛くて。ライブの段取り一切関係ないの。段取り関係なくステージに飛び出てきちゃうの。あのときは山崎まさよしくんとトータス松本くんがリーダー・シップをとってて進行役だったんだけど、"あれ~ヨーコさん出てきちゃってるよ~"って伝言ゲームみたいにステージ上でひそひそ(笑)。いきなりアイデアが降ってきたからポエトリー・リーディングしたい、とか(笑)。さいたまスーパーアリーナの天井に向かって突然"ジョ~ン!"って叫んだりとか。可愛いらしいの、本当に。キュート。

――バービーのファンは杏子さんのことも強くてキュートな姉御だって思ってるでしょう。

いやいやいやいや、強いとは思われてたかもしれないけど、でもその"強い"っていう部分をもっと楽しんでやっておけばよかった、って今は思う。イマサが(歌詞に)書いてくれる女性が強かったから、それを演じてたんだけど、もっと演じきればよかったなぁ、と思って。私はそんなに強い女じゃありません、っていうのをわかってほしい、みたいなところがあったし、ちょっとね、音楽的にも不安定だったから。だからできるだけ目立ちたくなかった。女子がひとりいると真ん中に置かれたりするんだけど、できるだけ端っこに置いといてください、取材でも話しかけないでください、って感じでしたね。

――バンドが解散する理由は金と女だって昔から言われますけど(笑)。

バービーには全然関係ない(笑)。お金も関係ないしなぁ、なんだろうなぁ。

――バービーは関係ないにしても、一般的な話として。

そうね。だからバンド内で結婚するっていうのは私はよくわからなくて。あとバンドの中で女の子だからって...まぁさすがに荷物は持っていただきましたが(笑)、女の子だからなんとかっていうのはなかったので、レベッカはいいなぁ、と(笑)。NOKKOは大事にされてていいなぁ、とは思ったけどね(笑)。だってそういう扱いが一切なかったから。それはいつも思ってた、大事にされててうらやましいなぁ、って。

――ビートルズ崩壊のきっかけについてもいろいろ言われてますよね。

諸説いろいろあるけど、でもバンドの解散には、多分ひとつだけではないちょっとした亀裂やいろんなタイミングだったりが関係するんだと思う。本当はそのとき解散までしなくてもよかったくらいの問題なのかもしれない。自分たちも今思うとね、そのときはそれぞれがいくつも問題を抱えていた中で、何かにちょっと火がついたことで"解散する"って言っちゃって、そのレールに乗っかりながらも、でもまだ戻れるかもしれない、って。だからビートルズもそうなったものの"戻れるかもしれない"って思ったタイミングがいくつもあったと思う。ジェットコースターでも、恐くなって乗るのをやめた人が戻れるところが列の途中にあるじゃない(笑)。ああいう小さい道がいくつかあったと思う。私たちも経験したからね。決めちゃったものの戻れるところはいっぱいあったけど、でもあまりにもそういうことに対して純粋すぎちゃってた。もう自分たちの言葉に嘘はつかない、みたいになっちゃってたのかなぁ。あとね、2月に復活ツアーをやったけど、メンバーが全員生きている。ビートルズはジョージも亡くなっちゃって今はふたりだけだから。バービーがオリジナル・メンバーでできたことの素晴らしさ、そして何かに感謝すらしたい気持ち。そうね、ひたすら"生きてる? 生かされてる?"っていうのはすごいことなんだと思いましたね。去年亡くなったレピッシュの現ちゃん、清志郎さん...淋しいです。

取材・文/佐々木美夏


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杏子(きょうこ)
ミュージシャン

1960年8月10日生まれ。長野県出身。84年バービーボーイズのボーカリストとして「暗闇でダンス」でメジャー・デビュー。男女のツインボーカルによるスリリングな楽曲とライブ・パフォーマンスで瞬く間に人気バンドとなり、「女ぎつねon the Run」などのヒット曲を遺す。92年1月の解散後はソロ・シンガーとして活動を始め、山崎まさよし、スガシカオ、元ちとせ等とのユニット「福耳」、ミュージカルなどでも活躍。09年5月28日福岡・6月7日仙台・6月24日札幌にて、ワールドワイドに活動中のバンドMONORAL主催のイベント『ROSE NIGHT』に出演。46年ぶりに日本で皆既日食が観測されることを記念して6月24日にリリースされるコンピレーション・アルバム『月ノうた』にも「上弦の月の下で」「夜に詠めるうた」の2曲で参加している。

杏子オフィシャルサイト http://www.office-augusta.com/kyoko/index.html

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