2009.12.28UP
●チューリップからビートルズへ

ソウル・フラワー・ユニオン。左から3番目が中川敬
――最初にビートルズを聴いたのはいつですか?
小学校高学年の頃に、テレビで日本のニュー・ミュージック歌手が"Let It Be"をカヴァーしててね。英語やから外国の歌やな、良いメロディやな、みたいな。でも、まだ子供やから、レコード買うんやったら(山口)百恵ちゃんにピンクレディー(笑)。で、FMの雑誌を見ては、ビートルズ特集とかあるとエアチェックしてカセットに録音するようになって。"Let It Be"とか"Here Comes The Sun"とかがテープに入ってた。まだジョン・レノンが殺される前で、マッカートニーも成田で捕まる前(笑)。
――じゃあ、そのカセットで繰り返しビートルズを聴いてたんですね。
最初はそう。それに、チューリップが好きやってんね、子供の頃。中学一年ぐらいから、小遣い貯めてLPを買ってた。『TAKE OFF』とか『君のために生まれかわろう』とか、初期のアルバムが好きで。で、ビートルズの曲をカセット・テープで録っていくうちに、「これ、元ネタちゃうの?」みたいな(笑)。それで「これは自分が好きな系統やな」っていうことが、子供ながらに整理されていった。その頃に『赤盤』(『The Beatles / 1962-1966』)&『青盤』(『The Beatles / 1967-1970』)がリリースされて、見たら時系列に代表曲が入ってるから、ちょっと子供には高かったけど買ってみた。1枚4,600円やったんちゃうかな。洋の東西を問わず、ロックと認識して最初に自分でレコードを買ったのはビートルズの『赤盤』『青盤』やね。どっちも擦り切れるぐらい聴いたよ。
――聴いてみてどうでした?
最初は『赤盤』ばっかり聴いてた。なんか、"I Am The Walrus"とか"A Day In The Life"とか気色悪いわけ、子供には(笑)。だから"All My Loving"とか"I Want to Hold Your Hand"とか、あのへんやったよね、「ああ、いい曲やな〜」って。でも、そのうち『青盤』もどんどん好きになっていって。その頃、レンタル・レコード屋なんてのも登場し始めてたけど、ビートルズは買い揃えなあかんと思ってたね。
――そんななかで、最初に買ったスタジオ・アルバムは何ですか?
う〜ん、正確には思い出されへんのやけど、『Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band』やったような気がする。どの本読んでも「最高傑作!」って書いてあったからね。『Revolver』とか『The Beatles(ホワイト・アルバム)』が評価されるようになるのは、80年代以降やった。俺らよりも上の世代のビートルズの捉え方っていうのは、最高傑作といえば『Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band』と『Abbey Road』。だから、その2枚あたりから買い始めてる。
●〈なんでも歌にしていい〉ことを教わった
――ちなみにビートルズのメンバーでは誰が好きでした?
最初はマッカートニーの書く曲が好きやってんけど、俺が中3の時、ジョン・レノンが死んで。で、ジョン・レノン関連本が沢山出版されて、インタビューとかを漁るように読むわけよ、中3の3学期は(笑)。漁るように読んで、ジョン・レノンの攻撃的で無垢な人間性に自己投影したりしながら、ジョン・レノンの曲ばっかり編集したカセット・テープ作って聴いたりしてた。
――ジョン・レノンの事件を知ったときはショックでした?
そうやね、まさに聴いてる真っ只中やったからね。FMラジオを聴いてて......、1980年12月9日の午後3時。いきなり速報みたいなかたちで知らされて、「ええ〜!」みたいな。それこそソロ・ワークも含めてビートルズばっかり聴いてる頃で、「本当の父親を見つけた!」みたいな気分の頃やったから。だって、ジョン&ヨーコの『Double Fantasy』が最初の〈発売日に買ったビートルズ〉やったからね。
――中川さんは社会的なこともどんどん発言されていますが、そこにジョンの影響があったりはしますか?
そこはあまり関係ないけど、ただ最初の入り口として、ジョン・レノンやボブ・ディラン、パンク、ニューウェイヴがあったことは、俺にとって良かったんじゃないかな。彼らは、子供の俺に対して、「思ったことはなんでも歌にしていいんやぞ」っていうメッセージを発してたんやね。それまで歌謡曲とか日本のロック&ポップスを聴いても、例えばその〈恋愛〉や〈反抗〉にリアリティがないわけよ。そういうリアリティのない〈居心地のいい音楽〉ばっかり耳に入ってくる中、訳詞ではあるけどジョン・レノンやボブ・ディランが歌ってる歌詞を見ると、〈歌は自由なもの〉っていうサインめいたメッセージがそこにある。そういう意味では、〈喋り方を教えてもらった〉というようなところがあるよね。
●大いなる勘違いを貫く姿勢
――今もビートルズは聴き続けているんですか?
たまにね。懐かし〜と思って聴くよ。聴こうとしなくても巷に溢れてるし。ただ、曲作りやアレンジで、ビートルズ的作法って、もう聴かなくても出て来てしまう。ストーンズとかフーとかモータウンとか、多感な頃に聴き漁ってた60年代の音楽は、血肉になっちゃってる。自分にとっての〈ネイティヴ・ミュージック〉みたいなところがあるよね、ビートルズは。
――いつもゲストの皆さんに、ビートルズに関わる思い出の一品をご紹介いただいているのですが、中川さんは何を?

中川氏所有のビートルズ本。「小学6年生ぐらいの頃に購入。
当時は、今のように、世に〈ロック本〉なんてほとんどなく、
敬少年にとってコイツは経典みたいなものでした」
小学校・中学校の頃に読んでたビートルズの本。これぐらいしかもう手許に残ってなくて。70年代半ばって、まだ、あんまりロック本とか出てなくてね。これにはインタビューとか年表とかが載ってるんやけど、自分が持ってるシングルのタイトルの下に赤線が引かれてたりする(笑)。経典みたいなものやったね(笑)。
――最後にビートルズから一番学んだことってなんですか?
好きな逸話があってね。66年ぐらいにメンバー間でよく交わされた会話で、「俺達に不可能なんてないよな!」っていうのがあって。大いなる勘違いって大事やな、みたいな(笑)。特にポール・マッカートニー。あの頃の好奇心旺盛なマッカートニー。あらゆる音楽を聴き、自分のものとして咀嚼して。で、「え? 俺が発明してんけど」っていうような顔をしてる(笑)。またはジョン・レノンの、思ったことは何でも口にする、稚拙ではあるけど思い切った活動、表現。願望に対する、力づくの行動作法。ビートルズって、そういうやつらが作った音楽なんよね。もうボックス・セットはエエやろ。ソウル・フラワーがちゃんとその辺、受け継ぐよ(笑)。
取材・文/村尾泰郎

ロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオンのヴォーカル/ギター。1966年、兵庫県西宮市生まれ。ソウル・フラワー・ユニオンは、2010年1月1日にマキシ・シングル"アクア・ヴィテ"をリリース。表題曲"アクア・ヴィテ"以外に、忌野清志郎とマイケル・ジャクソンに捧げた追悼カヴァー"ぼくの好きな先生"、"Human Nature"、曽我部恵一によるダブ・ミックス"閃光花火"などを含んだ全8曲入り。
ソウル・フラワー・ユニオン オフィシャルサイト
http://www.breast.co.jp/soulflower/
