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2009.02.16UP

音楽が消えた夏

 昨年の八月のことだ。

 その夏、私はほとんど病院にいて暑さを実感することがなかった。それというのも、心臓冠動脈のバイパス手術をすることになり、手術までのあいだ、検査や準備のために七月の初旬からずっと入院していたからである。手術について説明すると長くなるので簡単にまとめれば、心臓から出ている太い血管(冠動脈)が詰まっているので、ほかにある血管を移植してバイパスを作り正しく血液を循環させる。こうして書けば簡単だが、肋骨を開くという大手術だ。

 いよいよその日が近づいてきた。

 医師の一人が病室に来て、手術についていくつか説明してくれる。あるいは、全身麻酔を使うことへの同意書など、何枚かの書類にサインもした。そして医師はふと、奇妙なことを口にしたのである。

 「手術中、音楽を流しますが、なにがいいですか?」

 これから大手術をするというのに、いったいなにをのんきなことを言っているのだ。ほかにもっと質問すべきことや、説明することがあるのではないか。だいたい、その口ぶりが怪しい。どこか、「お客様サービス」のような話し方なのである。

 「ビートルズとバロックがありますが、ほかにもJ−POPが流せます」

 たしかに手術を受ける患者の緊張を音楽でほぐそうという気持ちはわからないではない。穏やかな音楽がいいのだろう。気持ちが落ちつく音楽がいいだろうが、では、ビートルズを選んでそれが『HELP』だった場合、いかがなものなのか。おなじみの、「ヘルプ!」という叫びが聞こえてきたら、「助けてほしいのはこっちのほうだよ」と言いたくもなるじゃないか。かといって、J−POPはどうなんでしょう。だいたい私は、J−POPというジャンルの音楽のことをあまり知らない。J−POPが流れてくると、なんか、コンビニにいるような気持ちにさせられる。手術中にJ−POPが流れたら、どこからか「お弁当、温めますかー」という声が聞こえてくるような気分になるかもしれないのだ。

 ここはやはりバロックだろう。

 べつに私はクラシック音楽が特別に好きというわけではないが、手術にはバロックだ。バロックが無難だ。というか、バロックしかないだろう、ここはやはり。

 当日、朝の八時半に手術室に入った。といってもべつにすたすた歩いて向かったわけではなく、入院している病室から、ストレッチャーに乗せられ病院内を進むのである。映画などで見たことがあると思うが、要するに、ベッドのようなものに車輪がついていると想像してもらえればいい。ストレッチャーの上で仰向けになっている患者はずっと天井を見ながら手術室まで運ばれる。この段階になるとさすがに緊張感は高まるが、それというのも、廊下を進み、エレベーターに乗り、手術室まで到着するあいだずっと天井を見ていなければならないからだ。

 こんなにまじまじと、人はエレベーターの天井を見ることなど、まずない。

 私は見た。天井だ。しかも、エレベーターの天井である。照明がまぶしいだけだ。これといって面白みはなにもない。そしてその面白みのなさに茫然とした気分になっているうちに、エレベーターを降り、いよいよ手術室に入ってゆく。ストレッチャーから手術台に移動する。見えるのはやはり天井だ。手術室によくあるような照明機材が見える。

 そして音楽が流れているのにようやく気がついた。

 バロックだ。

 たしかに希望したとおりのバロック音楽が流れていた。けれど、手術室には機械音が響き、それほど落ちついた気分になるようなものではない。どこかで音楽が流れているといった程度のバロックである。そして、麻酔医がやってきて、「では、これから全身麻酔をします。少しちくっとしますが、我慢してください」と言った。麻酔が打たれた。するとすぐに、視界がオレンジ色に変化するのを感じた。全身麻酔はすごい。次の瞬間にはすでに意識がなかった。

 眼が覚めたのはその日の夕方である。

 私は集中治療室にいた。どうやら無事に手術は終わったらしい。からだのあちこちから管が出ており容易に身動きができない。管の一部は機器に接続されており、コンピュータのディスプレイにからだの様子が数値となって表示されているらしい。あとで家族から聞いた話ではまるでSFのようなありさまだったという。けれど、私にはそんなことはどうだってよかったのだ。気がかりなのは、たったひとつだ。

 いったい、バロックはどうなったのかだ。

 手術の説明のとき、医師は「音楽を流しますがなんにしましょう」と言った。バロック音楽を私は希望した。けれど、まともに音楽を聞くひまもないうちに、私は全身麻酔で意識を失ったのである。音楽はずっと流れていたのだろうか。しかし、流すのはなにも医師たちの仕事のためではない。手術を受ける私のためだったはずだ。その私が意識を失っている。いくら音楽が流れていてもしょうがないじゃないか。だから、いま問題にすべきなのは、次のようなことである。

 「いったい、いつ音楽を消したのか」

 ずっと音楽を流しておくのもばかばかしいじゃないか。どこかで医師が判断し、音楽を消したはずだが、そのタイミングがわからない。私が意識をなくしたと判断したとたんに消したのだろうか。あるいは、時間が来たら消すのだろうか。いったいその「時間」とはなんの時間だ。わからない。なにもわからない。いつ消したのかもわからないが、そもそも、音楽を流すことに意味があるのかもわからないのだ。

 手術は無事に成功した。術後の経過もよく、いま私はすっかり健康になったが、それにしてもバロックのことが気になる。ほんとうに流れていたのだろうか。もしかしたら、流れるという私の思いこみだけで、機械音を音楽だと勘ちがいしただけかもしれない。全身麻酔はすごかった。なにしろ、バロックでさえ意味をなくしてしまうほどすごいのだ。

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宮沢章夫
1956年生まれ。多摩美術大学中退。中退後、なにもしない時期を経て、24歳でさまざまな種類の執筆業をはじめる。80年代半ば、竹中直人、いとうせいこうらとともに、「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を開始。その作演出をすべて手掛ける。90年、「遊園地再生事業団」の活動をはじめる。その第2回公演『ヒネミ』で、93年、岸田戯曲賞受賞。その後、舞台作品多数。ほかにもエッセイをはじめとする執筆活動、小説発表などで注目される。2000年より、京都造形芸術大学に赴任。劇作家。演出家。小説家。現、早稲田大学教授。
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