ttle_music07.jpg

2009.03.25UP

カーディガンを着る悪党もいる

 さて前回、中野香織さんの『モードの方程式』の一部を引用して紹介したように、私はかつて、「カーティガン」を着る者に悪党はいないと書いたことがある。だが、『モードの方程式』の記述はそうした私の考えをことごとく覆す。

「くつろいだ場面にこそよく似合いそうなカーディガンなのであるが、誕生したのはなんと戦場だった」

 なんだって。
 いったい「戦場」のどこでカーディガンが生まれたというのだ。そんな場所でカーディガンなんか着ていたら戦っている相手からばかにされたのではないか。なにしろ、カーディガンだぞ。

 ここで記される「戦場」とは、一八五四年から、五六年まで続いた、クリミア戦争のことだが、この戦争で活躍したと記録に残っているのが「カーディガン伯爵七世」である。
 名前がカーディガンだ。
 どうやらここからカーディガンが生まれたのだろう、というのは、よく「サンドウィッチ」は、トランプ好きだったサンドウィッチ伯が、食事をするのが面倒で、トランプをしながらでも食べられるよう、パンでハムを挟んだ食べ物を作らせたことから生まれたと話に聞くけど、あれみたいなものだろう。ではいったい、カーディガンの場合はどうだったのか。『モードの方程式』では、戦場におけるカーディガン伯爵が次のように描写される。

「肖像画に残るカーディガン伯爵の装いといえば、ぴったりとしたチェリーピンクのズボンに、金モールをあしらったロイヤル・ブルーのジャケット、負傷していたのでその上から金モールをあしらったウールのケープをまとっている」

 どこにも、カーディガンらしきものは登場しない。いったいこれはなんだろう。しかも、その先にいきなりなことが書かれていた。

「血なまぐさい戦場ではためいていたこの派手なウールのケープこそ、今日のニットのカーディガンの祖先になった服である」

 ケープと、カーディガンはちがうと私は思うのだ。なぜ祖先なのか不明だが、まあ、ウールだし、たとえケープとはいっても、それが少しずつ改良されてゆけばカーディガンへと変容していったのも理解できないわけではない。

 たしかに理解しがたいけれど、理解しようじゃないか。

 そして、本書『モードの方程式』において、著者の中野香織さんはおそろしいことを書いている。私の「カーディガンを着る者に悪党はいない」という説を、まっこうから否定するのである。

「ちなみに戦争に行く前のカ−ディガン伯爵は、すでに死語と化していた決闘を一八四〇年にもなってやってしまったり、一八四三年には姦通のかどで訴えられたあげくにその目撃者を隠匿してしまったりするという、今ならば悪党呼ばわりされたかもしれない人であった」

 いや、この話を聞いたら、カーディガンもなかなかに「ワル」だと考えずにいられない。たしかに、ウールやカシミヤといったやわらかな素材が使われているので、うっかりすると、それをまとったシルエットから「ワル」など一切、感じさせないが、カーディガン伯爵がすごかった。
 決闘をしたのはまだしも、姦通のかどで訴えられたり、その重要な証人とおぼしき目撃者を隠してしまうとは、なんというワルだ。とんでもない悪党ではないか。

 先に引用したように、カーディガン伯爵がまとった「ウールのケープ」は、ちっともカーディガンらしくなかったが、それが時代が進行して、少しずつカーディガンらしくなってゆく。さらに引用すれば、「さて、今のような形のカーディガンが世に出るのは一八六八年、袖の有無にかかわらず前でボタン留めするウールのウエストコートをこう呼んだ」ということになる。

 人に歴史あり。ものに歴史あり。

 しかし、ここまで進化し、形も変わったなら、なにもカーディガン伯爵のことなど忘れてもいいのではないか。もっとべつの名前でもよかったのではないか。けれど、姦通するような人物のことを人は、なかなか忘れられないものなのだろう。

「悪党、恐るべしだ」

 そして、さらに驚くべきことが、『モードの方程式』には記されている。

「このカーディガンをファッショナブルに流行させた人に俳優のレックス・ハリスンがいる」とレックス・ハリスンが紹介されるが、「ミュージカル『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ教授」を演じたときの話だ。中野さんは、このブロードウェイミュージカルの映画版で教授を演じた俳優を、「優雅なカーディガン姿を披露した」と高く買っている。
 けれど、そんなヒギンズ教授にも「悪党」の素質があることを、中野さんは見逃してはいなかった。
 よく知られているように、『マイ・フェア・レディ』は、言語学者のヒギンズ教授が、下町で花売りをする娘の言葉を矯正して、いっぱしのレディに育てるというお話である。映画ではオードリー・ヘップバーンが花売り娘を演じ、見事にレディに変身した。中野さんはそのことをこう書くのだ。

「よくよく考えてみれば、女性を自分の意のままに改造して悦に入っていたヒギンズ教授も、今ならば悪党よばわりされかねない人である」

 まったくだ。
 とんでもなく恐ろしい人物じゃないか、ヒギンズのやつ。カーディガンで人を油断させ、それでいて、自分好みの女を育てるとはなにごとだ。カーディガンは恐ろしいよ。「一見、おだやかな表情をもつカーディガンは、実は隠れ悪党の魅力があって世に広く定着した服なのであった」と中野さんは書くが、まったくだと頷かずにいられない。

 カーディガンは人を油断させる。
 いい人なんじゃないかと勘違いさせる。
 あのやわらかなシルエットが人をだます。

 かつて私は、「カーディガンを着る悪党はいない」と書いたが、「カーディガンには油断するな」と書き直したいし、いや、そんな生易しいことではいけない。むしろ、「悪党はたいてい、カーディガンを着る」としたほうがいい。

 カーディガンは恐ろしいよ。なにしろ隠れ蓑だ。けっしてだまされてはいけない。

<PREV  

img_profile_music07.gif

宮沢章夫
1956年生まれ。多摩美術大学中退。中退後、なにもしない時期を経て、24歳でさまざまな種類の執筆業をはじめる。80年代半ば、竹中直人、いとうせいこうらとともに、「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を開始。その作演出をすべて手掛ける。90年、「遊園地再生事業団」の活動をはじめる。その第2回公演『ヒネミ』で、93年、岸田戯曲賞受賞。その後、舞台作品多数。ほかにもエッセイをはじめとする執筆活動、小説発表などで注目される。2000年より、京都造形芸術大学に赴任。劇作家。演出家。小説家。現、早稲田大学教授。
PAPERS http://u-ench.com/
ページ上部へ
新着紹介のRSS ラガー音楽酒場のRSS ラガー音楽酒場 e-days プレゼント&インフォメーションのRSS e-days プレゼント&インフォメーション