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2010.03.23UP

珍しくギターの話(後編)

今思うとあの時の出来事はただ単に憧れのアーティストに会ったという意味ではなく
もっと大きな意味で自分の分岐点になったような気がします。

毎度ばかばかしい話を一席。


僕のプロフィール上では、、、
17歳でプロのミュージシャンになったと書かれていますが、
実際はそんなに甘い世界ではなく
しかも僕自身もアルバイト感覚で臨んでいました。
大学生になった頃には卒業したら
新聞記者になりたいな、という漠然とした夢を抱いていました。

しかし好きな音楽の現場で、しかも演奏をして褒められるというのは
非常に嬉しいし、今まで学業にせよ運動にせよ平凡だった僕は
何となくこの世界に心地良さを感じていました。
そんな最中の、まだ僕も二十歳前の頃に誘われた録音現場で
一人の業界人と出合いました。その人は麻田浩氏であります。
初めて麻田さんに会った時「この人はアメリカ人なのじゃないだろうか?」
という印象でした。
見た目ではなくサバサバした雰囲気と、何よりもその米国音楽の造詣の深さに
若者は「このイカしたオヤジは何ものだ?」とも(笑)。
麻田さんの話を聞いていると、この人は相当な山師ではないかと疑うほどの
海外アーティストとの親交ぶりで僕は内心、よくいる業界人なのでは?
と思っていました。
まだ若干のバブルの残り香のあったあの時期には
音楽業界にもよくいました。うさん臭い業界人達が(笑)。
最近は音楽業界は冷えきっているので彼らには無用の長物なんでしょうね。
めっきりお見かけしませんね。業界人の方々(笑)。

、、、話が横道にそれました。

それから麻田さんには相当かわいがっていただきました。
麻田さんはとってもグルメなので若造には無縁の看板のない料亭的な所などなど
本当に沢山ごちそうになりました。
さて、その麻田さんと出合った直後に、麻田さんから
「漣さ、ライ・クーダー好きだよね。コンサートの裏方の人手が足りないから手伝ってよ!
終わったらさ、会わせてあげるから。」
との連絡が!僕は思いました。「この人って本当に何者だ!」と(笑)。

かくして憧れのライとリンドレーのライブ会場に。
今回はライ氏の息子、リンドレー氏の娘も参加のファミリーバンド。
会場に入ったちょうどその時にリハーサルが行われていて
特にリンドレー氏が弾くフィドルが美しかった。
たしか、その日のライブでは披露しなかったが後日演奏したと記憶しています。
リハ後にライ氏が麻田さんに
「リンドレーが僕の曲でフィドルを弾いてくれるんだよ!」
と少年のような目で話していたのが印象的でした。
麻田さんが「リンドレーはライの先輩格でライはすごく影響を受けていて
すごくリンドレーのことを尊敬しているんだよ」と教えてくれた。
今までは音源を聴くだけだったので知りえない色んなことを知って
何だか得した気分でした(笑)。

僕はリンドレーの物販を手伝ったりしながら本番を観ました。
本番中に物販CD買う人はいませんからね(笑)。
前回の来日時には少年だったライの息子のホアキム(日本語表記しにくい発音です)が
ライを上回る長身になっていて驚いた。もちろん演奏も素晴らしく上達していた。

そして終演後、楽屋に入れてもらうと大きなケーキが。
実はホアキムの誕生日だったらしくプチ・パーティーが催されていた。
ライの傍らには美しい女性が。「はて、何処かでお見かけしたような、、、?」
あぁ!「紫の峡谷」のあの女性だ!
ライの初期のイメージを作り上げた傑作2ndアルバムのジャケットに映る女性。
実はご存知の方も多いと思いますが、この方はライの奥様であり、
ライの作品の多くのジャケットを撮影したカメラマンであり、
この時期のワーナーブラザースの数々の名盤を作った名プロデューサーの
ラス・タイトルマン氏の妹のスーザン・タイトルマンさんであります。
初期三部作の中であえて選ぶのであれば3rdが好きなのですが、
2ndの「紫の峡谷」はジャケットのアートワークが素晴らしいのです。
ハリウッドの書き割りの世界。パンクした車。
そこで歌われる大恐慌時代の歌たち。
この一枚でライ・クーダーというブランドイメージは確立したのだと
思います。、、、語ってしまった(汗)。

この日は日本公演初日でもあってライ氏は時差でお疲れでしたが、
かたやリンドレー氏はどこ吹く風(笑)麻田さん言うには
「リンドレーは長いことジャクソン・ブラウンやらのツアー・ミュージシャンの
経験があるから旅には慣れているんだよ。ライはどちらかと言うとアーティストだから。」
確かに。僕にとってはどちらも名盤を支える名奏者ですが、
ライ氏は所謂サポート仕事で外に出ていた訳ではありませんね。

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共演盤

結局、終演後にリンドレー氏のホテルにお邪魔することに!
ホテルにはステージを終えたばかりの娘さんのロザンヌさんまで。
色んな経緯があって(それは割愛します)ですが、
若気の至りか僕はそのリンドレー氏の前でワイゼンボーンを演奏する始末(汗)。
さてリンドレー氏の娘ロザンヌさんとお話をしていると思わぬ事実が。
ロザンヌさんと当時ようやく注目され始めたベン・ハーパー氏が高校の同級生だと。
しかもちょうどプロモーションの為に来日中でリンドレー氏の部屋の上にいると(笑)。
(ベン・ハーパーの2ndが発売される時期だったと思います。)
リンドレー氏が電話をかけたが残念ながらつながらなかった。
これまた麻田さんのお話だとベン・ハーパーもまたリンドレー氏を尊敬しつつも
自身が影響を受けすぎるのを懸念してあえてあまり接触しないようにしているとの事。

自分には関係のない世界、雲の上の世界がほんの少し身近に感じられ、
脳裏をよぎった。「本気で音楽やってみようかな、、、。」と。

その後、何度かリンドレー氏の来日公演の際は売り子をお手伝いしました。
そんなリンドレー氏のプロジェクトのひとつにギタリストの
ヘンリー・カイザー氏とのシリーズがありました。
マダガスカルやノルウェイの現地のトラディショナル・ミュージシャン達の
演奏を録音したり共演したりという姿に「現代のアラン・ロマックス」を
連想したりしました(図書館のような街参照)。

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売り子をしていた作品達(自筆イラストが良い!)

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ヘンリー・カイザーとのプロジェクト&サイン入り「化けもの」

そうして幾年も過ぎてプロと呼ばれるようになってしばらくした頃に
某bounce紙でライとの(書面での)インタビューを承りました。
そのやり取りは詳しくは書きませんが
ライ氏の真摯なお答えに感動したのを憶えています。
その時に発売されたのが傑作「マンボ・シヌエンド」であります。
以前から共演盤でのライ氏の評価は高かったのですが、
ここでのライ氏はひと回り以上若返ったかのようで
これがこの後続く新たな創作のピークになっている気がします。

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私的・近年ベスト3

最近思うのですが、やっぱり人との出会いが人生に多くを残してくれるのです。
そう言う意味では僕はとてもついていたのだと思います。
あの時、あの場所で麻田さんに会っていなかったら僕の人生は
確実に違ったものになっていたのでしょう。

追記)その麻田さんがこの業界に入ったのは朋友マイク眞木氏とのバンドでして、
そのマイクさんと僕が作った作品については、、、また今度(笑)。


高田漣

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リンドレー氏のお気に入りテスコのKシリーズ&イマジンTシャツ(前回参照

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高田漣(ミュージシャン)
1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。14歳からギターを始め、17歳で、父親の旧友でもあるシンガーソングライター・西岡恭三のアルバムでセッション・デビューを果たす。現在は、スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器奏者として細野晴臣、高橋幸宏、ハナレグミ、アン・サリー、畠山美由紀、Human Audio Spongeなどのレコーディングやライヴで活躍中。ソロとしても今までに5枚のアルバムをリリース。2008年には、高橋幸宏、原田知世、高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦の6人で「pupa」を結成し、デビュー・アルバム『floating pupa』を発表している。同年、崔洋一監督によるショートフィルム「ダイコン」(小泉今日子主演)の音楽を担当。
【official web site】 http://www.tone.jp
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