

今年の1月に70歳を迎えたムッシュかまやつさん。半世紀におよぶミュージシャン活動のなかで、ジャズ、カントリー&ウェスタン、リヴァプール・サウンド、フォーク、果てはクラブ・ミュージックに至るまで、軽妙なフットワークであらゆる音楽との交流を図りながら、幅広い世代からのリスペクトを集め続けてきた、まさに"LIVING LEGEND"。そんなムッシュが、このたびセルフ・カヴァー・アルバム
『1939~MOUSIEUR』を発表。かつての同胞、堺正章、井上順をはじめ、Micro、今井美樹、秦基博、THE ALFEE、トータス松本、一青窈、布袋寅泰、甲斐名都、森山良子・直太朗、TAROかまやつといった錚々たるメンツをゲスト・ヴォーカルに迎え、楽しくノリのいい"ムッシュかまやつの世界"を再現。この機会に、ムッシュの音楽遍歴を振り返ってみようじゃないですか!
取材・文章:久保田泰平/写真:財津はやと

―― お父様がジャズ・ミュージシャンのティーブ・釜萢さんでいらして。いわゆる"音楽家庭"で育った。
クラシックをやっているような"音楽家庭"とは雰囲気が違うと思うんですけど、いつも音楽がそばにあったっていうのは事実ですね。学校の先輩たちにも音楽をやってる人が多かったですし、家の中からも外からも影響を受けてました。あと、米軍の放送。当時"WPTR"ばっかり聴いてましたんで。
―― ミュージシャンになろうと思ったきっかけは何だったんですか?。
やっぱり、親父のステージなんかも観てたので、人前でやってみたいなっていう気持ちが自然と沸いてきたんでしょうね。でまあ、最初はトランペットのミュージシャンになるつもりだったんですね。というのも、子どもの頃、従妹の森山良子の家族とおんなじ家に住んでまして、良子のお父さんっていうのがジャズ・トランペッターだったんですよ。そういうことで、1940年代、50年代のジャズのレコードが家にいっぱいあって、それを聴いてるうちに、僕もトランペット吹きたいなって思って。でも、当時、ジャズの世界って子どもから見たら敷居が高くてね。僕はできるだけ早くオーディエンスの前で演奏したかったから、学校の先輩たちがやってたカントリー&ウェスタンのバンドに入れてもらったんです。それからすぐに米軍のキャンプ回りを始めて。
―― その後、ワゴンマスターをはじめとする名門ウェスタン・バンドで活動されたのち、ソロのウェスタン・シンガーとして60年にレコード・デビューするわけですが、さほど注目もされずに......
この頃はね、平尾昌晃さんとかミッキー・カーチスさんとか山下敬二郎さんが人気だった〈ロカビリー時代〉でしたからね。それまでカントリー&ウェスタンをやってた連中も、大抵ロカビリーに流れていったんですけど、僕はその頃のロカビリーにあまりインスパイアされなかったから、しばらく頑固にやってて(笑)。お客さんにもコアな人が多くてね。ちょっとビートの利いたものとか電気楽器を使ったりドラムが入ったものとかやったりすると「オマエは堕落した」って言われるような、そんな時代だったんですよ(笑)。僕自身、エレクトリック・ギターを使った音楽を本当に好きになったのは、60年代に入ってからでね、いわゆるリヴァプール・サウンドから。ビートルズとかストーンズ、そのあとにキンクスとかゾンビーズとか。僕が実際にエレクトリック・ギターを手にしたのは63年で、それまではずっとアコースティックギター、マーチンのD-28を弾いてましたから。
―― 64年にスパイダースの正式メンバーになるわけですが、グループ・サウンズ全盛期はプレイヤー、作家としていちばん濃厚な時代だったんじゃないですか。

そうですね、濃厚でしたね。人生の中でバンドをガッチリやったっていうのはこの時だけですしね。スパイダースでやったのは実質7年ぐらいでしたけど、ある種ビジネスとか関係なく、自分の好きなことをやってましたしね。実際に僕が書いた曲はヒットしなかったですけど(笑)。
―― 当時のスパイダースにまつわる話で「ビートルズの新曲をいち早くコピーして、自分たちのステージでさも自分たちの新曲のように演奏した」なんて逸話を聞いたことがあるんですけど(笑)。
あれは"Ticket To Ride"でしたかね。FENで流れていたのをオープンリールのテープに録音して、リリックスをヒアリングでとって、それで次の日すぐやったみたいな。とにかく早いっていうのが勝負だったんですね、あの時代は。日本の他のバンドがまだやってない曲をやることが誇り高かったわけですよ。バンド自体もそういうことで盛り上がりましたし。でまあ、いち早くコピーをして、あとでレコードが出てから、中にあるリリックスを見るとぜんぜん違うっていう(笑)。そういうことはいっぱいありましたね。
―― 考えてみれば、かなり質の悪い〈パクリ〉という言い方もできますよね(笑)。でも、ムッシュのそういった〈新しもの好き〉感覚は、スパイダースというバンドのヒップさを形成してた要因のひとつだと思います。目の付けどころも独自でしたし、それこそジャズのスタンダード"Fool Rush In"がモチーフになっている"あの時君は若かった"とか、アソシエイションの"Cherish"がモチーフになっている"黒ゆりの詩"とかクールすぎますよ。90年代前半に、ムッシュの音楽やアーティストとしての気質が、先鋭的なアーティストや若いリスナーたちからスポットを浴びたのはそういうところにあったと思います。
僕らもそうだったけど、その後のミュージシャンでいえば、たとえばポール・ウェラーとかもやってるじゃないですか。メロディーラインだとかそういうものじゃなくて、時代のフレイヴァーみたいなものを取り入れる感覚で。そういう連中、好きですよ。なんとなく僕があれこれやっていた時代と似たような匂いを感じるんです。
1939年、東京生まれ。父親は日本ジャズ界の草分け、ティーブ釜萢。幼少時代からジャズを始め音楽に触れながら育ち50年代に〈小坂一也とワゴンマスターズ〉に加入し、プロデビュー。60年代には〈スパイダース〉加入、ソロに転じた70年代は吉田拓郎との共作で一斉を風靡する。その後もセッションシンガーとして、今日にいたるまで精力的に活動している。

2009年で70歳を迎えるムッシュかまやつをたたえるアニバーサリー・アルバム。「ムッシュかまやつの半生」をコンセプトに、スパーダース時代の楽曲から、ソロ時代の代表曲まで、豪華ゲストミュージシャンとのコラボレーションでセルフ・カバー。書き下ろしの新曲3曲を含む全12曲。ジャケット・イラストは水森亜土の書き下ろし。
品番:IOCD-20261
価格:¥3,150(tax in)
