

前身であるタムラ・レコードがべリー・ゴーディーJr.によって設立されたのが1959年。以来、モータウン・レコードは、音楽史に残る数々の実積を生み出してきた。なかでも注目すべきは、デトロイトを拠点としていた60年代。
スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、シュープリームスなど多くの才能が開花した時代だ。
無類の音楽ファンとして知られ、モータウンにも造詣が深いピーター・バラカン氏と萩原健太氏に、当時を振り返っていただいた。
取材・文/印南敦史 撮影/神ノ川智早
―― おふたりが初めて買ったモータウンのレコードはなんでしたか?
バラカン
萩原
僕はテンプテーションズの "Get Ready"かな。中学生ぐらいのころですね。そのころはまだモータウンと意識してたわけじゃなくて、ヒット曲として買ったんですけど。バラカン
僕も同じです。モータウンっていう意識はまだまったくなかった。でも黄金時代ではあったし、勢いはすごかったよ。モータウンのなにかが、しょっちゅうヒット・チャートにあるっていう感じでしたよ。シュープリームス、マーサ&ザ・ヴァンデラズ、フォー・トップス、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、アイズレー・ブラザーズ、ミラクルズ、ジミー・ラフィン......あ、それからジュニア・ウォーカー。イギリスでジュニア・ウォーカーの存在は大きかった。萩原
日本では60年代当時、意識してモータウンばっかり聴いてる人はそんなにいなかったと思うんですよね。シュープリームスとテンプテーションズがワーッと盛り上がってる感じはあったけど、"モータウン・サウンドの特色"みたいなことが語られるのはもうちょっと後になってからだったと思うんです。
バラカン
『Motown Chartbusters』というコンピレイションのシリーズは日本で出てた?萩原
バラカン
萩原 日本で安いサンプラーが出てきたのは、70年代に入ってからなんですよね。当時モータウンはビクターが持ってたんですけど、70年代になってからモータウンのオリジナル・アルバムをどっと出す企画があったんです。けっこうマイナーなところまで出してくれたんですけど、有名どころは別としてもマイナーものはほとんど売れなかったりしてね。日本ではそんな状態でしたよ。話題になるのは一部の大きなアーティストだけで、あとはまだそんなには売れてなかった。それに日本のソウル・マニアには、「モータウンなんかだめだ」という人が多かったんです。「ああいう、シュガー・コーティングされたポップなものなんかソウルじゃねぇ」と。
バラカン
萩原
「俺たちはオーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、サム・クックを聴くんだ」ってね(笑)。僕が高校に入ったのは71年ぐらいなんですけど、当時のR&Bファンは、モータウンなんか聴いてる僕をバカにしてましたよね(笑)バラカン
萩原
バラカン
萩原
バラカン
萩原
バラカン
ピーター・バラカン
1951年生まれ。現在はフリーのブロードキャスターとして活動中。著書に『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)などがある。
Peter Barakan 公式ブログ
萩原健太
1956年生まれ。執筆活動、ラジオDJ、TV出演などで評論活動を行うかたわら、ミュージシャン、プロデューサーとしても活動。さまざまな形で音楽にたずさわっている。
萩原健太公式ブログ Kenta's...Nothing But Pop!
