

テレビ番組から薄暗いクラブまでを舞台に、縦横無尽の活動を続けるいとうせいこう。80年代にはラッパーとしても活動し、黎明期の日本のヒップホップ・シーンに確かな足跡を残してきた彼だが、90年代の一時期は音楽活動から離れた活動を続けてきた。だが、ゼロ年代に入ってから音楽活動を再開。数多くのコラボレーションを重ねながら、独自の表現活動を展開している。また、この7月には一回り以上年下のバンド、□□□(クチロロ)に電撃加入。このたび、加入後初のアルバム『everyday is a symphony』もリリースされることになった。日本の伝統芸能から最先端のミュージック・シーンまでを横断しながら、今まさに音楽家としての絶頂期を迎えつつあるいとうせいこうに話を訊く。
取材・文:大石 始 /写真:かくたみほ

―― ここ最近、ものすごく活発に音楽活動を展開されていますね。90年代はそれほど積極的に音楽に向き合っていらっしゃらなかった印象があるんですが。
それはね、90年代は自分がそのままヒップホップに留まっていても面白いものが生まれる感じがしなくて、だったら他の人がやってくれるだろうということで(ヒップホップから)離れたんです。僕はもともとBボーイじゃないし、そのことが分かったうえでヒップホップを選びとっていたわけだけど、90年代はBボーイじゃない人間が英語を使わないでヒップホップをやるのは状況的に難しいだろうなと思っていて。その分、スチャダラパーのような連中に余計に仕事をさせたところはあるかもしれないけど。
―― では、活動を再開したきっかけは何だったのでしょうか。
直接的なきっかけになったのは、SUPER BUTTER DOGの池田(貴史)が「レキシというバンドをやるからラップをやってくれませんか」って言ってくれたことですね。僕は軽く「いいよ」って答えたんだけど、よく考えてみたら10年以上ラップをやってなかったんですよ。
でも、代々木のスタジオに入ってトラックを聴いていると、ツルッとラップが出てきた。その時に久々に身体が疼く感覚があって、〈オレ、やっぱりヒップホップが大好きなんだ〉って思ったんですね。池田くんが寝かせ頃のオレを上手く使ってくれたっていうところも大きかったんだろうし、レキシっていうコミカルなバンドだったからこそシリアスにならずにラップができたんでしょうね。だから、池田にパンドラの箱を開けられちゃったっていう感覚ですよ。その後、DJ BAKUや□□□(クチロロ)から声がかかるわけですけど、そういうなかで身体的な勘が蘇ってきたんです。
―― なるほど。

その一方で、ここしばらく日本の古典芸能にずっとハマってるんですよ。小唄も十何年の間稽古してるし、浄瑠璃の良さについても勉強してきた。それ以外にもパキスタンのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンっていうもの凄いヴォーカリストを追いかけていたり、そういうこと全部が僕のラップにハネ返ってきたんですよ。昔だったらできなかった表現を掴み取れている感覚があったわけですね。だから、今、ヴォーカリストとしてようやく演奏者と対等に音楽をできているっていう感覚があるんです。
前は本物のミュージシャンじゃない立場からミュージシャンと対峙してる感じだったんだけど、今は言葉を使って音楽をやってるっていう意識がものすごくあるのね。あと、池田にも言われたし、真心(ブラザーズ)と一緒にやった時もYO-KINGと桜井(秀俊)に言われたし、今回の□□□でも(三浦)康嗣と(村田)シゲにも言われたんだけど、みんな〈昔より今のほうが声が出てますね〉って言うんだよ。でも、不思議なものだよね。だって、今48歳なんだもん。当時より確実に衰えてるよね? だけど、浄瑠璃の稽古を続けてきたから息の使い方とかをお師匠さんたちに教わっていたわけで、そのなかで知らない間に声が練れていたみたいなんだよ。先輩たちから〈人生にはひとつも無駄なことがない〉って聞いてきてはいたけれど、〈このことか!〉と。びっくりしたね。
―― 面白いですね。せいこうさんにとっても予期していなかったところでヴォーカリストとして成長していたと。
そうだね。古典芸能の人たちってさ、〈薔薇〉っていう言葉の音色で赤さを表現しないといけない、と考えるわけ。つまり、言葉の響きだけで赤のグラデーションを無限に表現できるんだよ。でも、近代的に考えると、その色彩を表現するには〈赤い薔薇〉って言わなくちゃいけないんだけど、そうすると〈赤い〉という3文字が邪魔になる。〈薔薇〉っていう2文字だけで赤の赤さを表現するのがヴォーカリストだと思うし、僕はそういうことを古典芸能を通して教わってきちゃったわけ。
―― 表現者として一言一言が持つ重みを今まで以上に実感するようになった、ということですか?
重みと共に、その言葉をコントロールして人に届ける面白み。それを実感してるね。〈伝わった!〉〈駄目だった!〉っていう聞き手との勝負というかね。
―― 言葉というものの捉え方がいわゆるラッパー的ではないんですね。
僕がよく言ってるのは、日本語ラップといってもたかだか80年代後半に生まれたもので、まだ世に出てから20年しか経ってないわけですよ。でも、その前には三島由紀夫の演説があって、学生運動家が生死をかけるような演説をしていて......と遡っていくと、それこそ大正デモクラシーの時のヴァイオリン演歌、さらに遡るとやっぱり浄瑠璃まで辿り着いてしまうんだよね。
そういう歴史の突端にオレがいるわけで、オレのなかでは〈ラップは後から乗ってるもの〉という考えなんだよ。そうすると、やれること・学ぶことが圧倒的に広がっちゃうんだ。
―― 最近のせいこうさんのラップを聴いていると、確かに明治~大正時代の演歌師を連想させるところがあるんですよね。
僕はね、ラッパーというよりも〈演説家〉と言えばいいと思ってるんだよ。僕はスピーチをしているわけだから。もちろんパーティー・ラップもやりたいと思ってるし、スピーチができればパーティーもできると思ってるわけでさ。
―― そこは分断してないんですね。
一緒ですね。楽しさを伝えている時と政治的なことを喋っている時は、自分のなかのソウルを変えるだけでいろんなことができるわけじゃないですか。だから、ヒップホップしか見ていない人はもったいないと思うんだよ。
例えば、浅草の先輩たちに教えてもらった深井志道軒(ふかいしどうけん)っていう人がかつていたんだけど、この人は浅草寺の境内で宗教批判とか幕府批判をガンガンやってた人なのね。でも、すごくエッチなことも織り交ぜて、客をめちゃくちゃ盛り上げてたらしいんだよ。なにせあまりに人気があるから江戸幕府が手を出せなかったぐらい。そういう面白い人たちがかつて存在したわけで、僕自身も〈適当なことはできないな〉と思うようになった。オレはジェイZよりも深井志道軒に負けたくないんだよ(笑)。
1961年生まれ。小説『ノーライフ・キング』をはじめ、ルポルタージュ、エッセイなど、数多くの著書を発表する。執筆活動を続ける一方、音楽家 としてもジャパニーズヒップホップの先駆者として活躍し、舞台、ライブとあらゆるジャンルにわたる幅広い表現活動を行っている。常に先の感覚を走り創作し 続けるクリエーター。
今年は実験的な音楽と多様なジャンルの要素を盛り込んだブレイク・ビーツユニット〈□□□(クチロロ)〉への加入や、盟友DUB MASTER Xとダブバンド〈THE DUB FLOWER〉を結成し、精力的に 音楽活動を展開している。
.......................................................................
いとうせいこう on Twitter
http://twitter.com/seikoito

今年7月にスペースシャワーTV「MUSIC UPDATE」内にて、緊急記者発表を実施、衝撃のいとうせいこう氏加入を電撃発表した□□□が遂に新たな3人組となって初のアルバムを完成させた。
アルバムタイトルにもなっている〈Everyday is a Symphony〉をテーマに、現代に生きる私たちの日常のあらゆる瞬間をメンバー3人が各々の日常と、様々な環境で半年かけて録音、その素材を再構築しレコーディングを実施。フィールドレコーディングという手法を取りながらもマニアックにならないあくまで□□□らしい上質なポップスに仕上げた。
きっとアルバムを聴いたあなたの人生にちょっとだけ重なる瞬間があるはず。そんな是非外に連れ出してあらゆるシチュエーションで聴いてほしいアルバム。それがフィールドレコーディング・オーケストラ=□□□が奏でる『everyday is a symphony』なのでは?
2009年12月2日発売 RZCM-46305 ¥3,000(税込)
