2009.11.27UP
猫がいなくなってしまった。
毎日毎日、帰りを待ち続けて
一ヶ月が過ぎてしまった
その日もいつものように仕事を終えて帰宅すると
家人から「ぎんちゃん、帰ってこないのよ」と言われ。
が、そのうち帰ってくるだろうと・・・。
それが、3日4日となるうちに
重苦しい胸騒ぎへと変わっていった。
その頃は、朝方まで眠れない日が続いた
猫の出入り口あたりで、音がすると
目が覚めて見に行った
夜の風がパタパタと小さな扉を揺らしていた
庭で「ぎんちゃん」と呼ぶと
どこからともなく足下にやって来たのに
今は、その気配もない
このあたりには、もういないのだというのがわかる。
仕事の合間の
ふとした時間、気がつくと猫のことを考えている
ただ、ぼんやり考える
何かに思いあたったとしても
猫が出て行ってしまったことにかわりはない。
ふかふかの毛布やなまり節や
そんなものよりいいものがあったのだ
ある夜、インターネットで「猫の失踪」を検索してみる
そう、うちだけではない
あちらでもこちらでも
しかし、どこにも答えはのっていない。
そのうちひとつの文にいきあたった
「僕は小さい頃 猫の失踪は
星が消えるようなものだと思っていた
昼だって星は輝いている
ただ陽の光にさえぎられて
僕らには見えないだけだ
夜になれば当然のように
僕らの上にかえってくる
それと同じで
夜の闇に消えていった猫もまた
平然顔でひょっこり帰ってくるような
気がしてならなかった
それほど 僕の愛した猫たちは
やさしいまでにさりげなく
僕の視線から消えていった」
―空の色ににている―より 内田善美
まるで神隠しのように
ふと消えてしまったな
と思う私の気持ちに、
この言葉がすっと入り込んだ
猫がいなくならなければ、
多分この方を知らないままでいただろう
1953年10月28日生まれ
ちょうど一ヶ月遅れが私の誕生日だった。
そして内田さんのことを調べていると
私が大好きな本のひとつ
ジャック・フィニイの「ゲイルズバーグの春を愛す」
のカバーを描いていらっしゃることを知る
もう何十年も前から、私はそのカバーを知っていた
こんなところでつながっている
そう思った。
それにしても
家中の障子に穴をあけ
襖を爪研ぎのかわりにし
その置きみやげを眺めるたびに
それはそれで懐かしく
その思い出とともにそのままにしておきたいのだけれど
年が明けたら、新しく張り替えることにしよう
忘れた頃に帰ってくる
という言葉を、頭の片隅に置いておこう
