2009.10.09UP
7日、「劇的3時間ショウ」の私の出番が終わった。
その数日前から、私の体調も劇的に変化。食欲がなくなり、
すーっと頭が冴え冴えとするという、日常じゃない時間が流れはじめた。
その不思議な感覚の頭で、ショウの進行や構成を考える。
それは映画のシーンのように浮かんで、つながってゆく。
その作業は、このうえもなく楽しかった。

ただし、自分が400人という観客の前で、3時間何かを発信し続けることが、
空恐ろしいことのように思われることがあった。
そのドキドキを布袋さんに伝えると、
「心配しないで、ヤッコさんはいつものように笑っていればいいよ。
僕たちがみんなでサポートするからね」というメールが届く。
すでに私の回は、CM演出家の中島信也さんが前半、布袋さんが後半に
サプライズ・ゲストとして出演してくれることになっていた。
このお話を受けたとき、ごく自然にお願いしたら、お二人とも、一発で
OKしてくれたのだ。
中島さんは長期の撮影に入ってるし、布袋さんはレコーディングの真っ最中だ、
ということは、私としては熟知していたのだが、なんてありがたい友情出演!
それにしても、私ってそんなにいつも笑っているんだろうか、自分では
わからないんだけど。
当日、ぎりぎりまでショウをみたいというメールや電話が続く。
初めは100人ぐらいの応募で、300人ぐらいは私がサクラを
集めなくちゃ、、、とあせった。
でも、もう応募はお終いとなってもリクエストがあって、私は
自分が幸せ者だと気づいた。
時間が来て、私はステージに上がる。
出囃子は、若い友人竹井ゆりなちゃんの「アルパカ・モルパカ」
あれっ、私、笑ってる!
45年前にやったかわいい仕事、そして、去年やったかわいい仕事を
映像で見てもらう。
何も変わってない、おんなじだ。
キャリアってなに?
続けていくことってなに?
いろんな画像を見てもらいながら、私も考える。

お助け1号、中島信也さん現れる。
私がかかわった膨大な映像を映しながら、中島さんのおかげで関西ノリの
笑いに満ちたトークが続く。
時代を経て観ると、泣きたいぐらい美しい映像やコピーもある。
でもみんなに「昔はよかった」とは絶対に言いたくない。
この厳しい経済状態、ちょっと窮屈な制作条件の中でも、
なにか美しいものをつかまえて突き抜けていきたい!

第2部は、音楽ぽい話。私はグラム味を効かせた服にお着替え。
ニューヨーク、ロンドン。Tレックス、デヴィッド・ボウイから
「風とロック」で特集してくれたエイプリル・フール、そして追っかけきれない所に
飛んで行ってしまった清志郎さん・・・とあちこととびながらロックの話。
そして布袋さん登場!
かっこいい、上質なジャケット、美しい紫色のネクタイと、おしゃれで知的な布袋さん。
なのに私、ほめるの忘れちゃった。
話題は去年私が衣裳をお手伝いした布袋さんの東大寺コンサート。これから発売されるDVDの
ダイジェスト版を夜中に編集してきてくださった。
最後に布袋さんの誘導で、私の夢を語ることになった。
私の夢は「表参道のヤッコさん」の映画化。
そんなおおそれたことを人前で語るなんて超恥ずかしいのに、正直者の私は
ついにカミングアウトしてしまった。
(その後、布袋さんはいち早く3時間ショウの様子をブログに載せてくれた)
布袋さんブログ(http://hotei.com/blog/)

人生の先輩、お手本、仲良し、、
黒沢映画の片腕であり、今でも世界中の若い映画監督たちから
尊敬されている野上照代さんと。
楽屋で、ロック部長、布袋さんと。
全てが終わり、中島さん、布袋さん、開催者の皆さんと食事をした。
舞台監督さんが言った。
「10人の出演者の中で、ヤッコさんがいちばん心配だった。
膨大な映像資料を時間内にどのように見せるのか、たぶん大幅にオーバーするんじゃないか」と。
始まる前に綿密な打ち合わせがあり、彼が懐中電灯をかざして合図をしてくれることになっていた。
ところが、ステージに上がったとたん、打ち合わせ事項は私の頭の中を通過してしまい、
一度も灯りを観ることはなかった。
ショウは奇跡的にほぼ時間通りに終わったが、懐中電灯にこたえ続けてくれたのは、
中島さんと布袋さんだった。やっぱり布袋さんの言う通りになってしまった。
その夜から今まで、私はたくさんのメール、電話を受け取り続けている。
その中のひとつ
SHOW MUST GO ON(ショウは続かなければならない)とあった。
生きてゆくことは、何かを継続させること。
(劇的3時間SHOW(http://www.geki3.jp/index.php)は13日まで。当日券あり)
