
いやはや、新しい時代が来ていること、つくづく実感したお正月だった。
昨年の暮れ、「ワーナー・ブラザース・レコード創立50周年記念のスペシャル・ボックス」が発売されるというニュースを知って、なんとCDが20枚入っているというボックス・セットを注文してしまった。
最近、やたらデジタル・リマスターとか、紙ジャケット&オビつきとか、やれボーナス・トラックつきとか、次々とキリなく発売される復刻ものCD。若いころ楽しく聴いた懐かしい音がいっぱい詰まっている。メーカーは「もう一度買ってちょうだい!」とあの手この手で迫ってくる。僕のような、クラシック・ロックが好きな音楽ファンは、ついフラフラと、いままで聴いたことのないボーナス・トラックなどにひかれて、思わず衝動買いしてしまう傾向があるので、最近はCDショップには立ち寄らないようにしているくらいだ。
でも、ワーナー・ブラザース・レコード創立50周年スペシャル・ボックスと聞くと、我慢できなくなって、ついついインターネットを使ってオーダーしてしまった。
あなたがロックやポピュラー音楽のファンだったら、モータウンとか、アトランティックとか、お気に入りのレコード・レーベルがあると思うけれど、僕の場合は、ワーナー・ブラザース・レコードがその一つだ。
アメリカはカリフォルニア州バーバンクにある映画会社ワーナー・ブラザース映画の音楽部門として創立されたレーベル。50年ほど前のアメリカ、黄金の1960年代、音楽産業も将来を有望視され、20世紀フォックス、パラマウント、MGM、コロンビアなど映画会社のほとんどが系列レコード会社を設立した。他社と同じくワ―ナ・ブラザース・レコードも、自社製作の映画やテレビ番組のサウンドトラックをレコードにすることで利益を得ようと作られた会社だ。
ところがどっこい、映画と音楽は、同じエンタテイメントでも、似て非なるもの。映画会社を母体に作られたレコード会社のほとんどが数年経って経営的に立ち行かなくなったのだ。しかしワーナー・ブラザース・レコードは、そうはならず、70年代には一流レコード会社の仲間入りをし、現在でもメジャー・レーベルの雄としてワールド・ワイドな音楽業界の一翼を担っている。
それはワーナー・ブラザース・レコードがアーティスト・オリエンテッドな組織だったからだ。経営者にとっては、もちろん売上・利益も大切だが、それは才能あるアーティストと彼らのレコードを買ってくれる顧客によってもたらされるもの。だから「まずは才能あるアーティストを発掘しよう。そうすれば利益はうしろからついてくる」というのがワーナーのコンセプトだった。
この哲学を確立したのが1960年代中盤から20世紀の終わりまで経営陣のトップとして活躍したモー・オースティンという人。アメリカ音楽業界人としては、アトランティック・レコードの創始者アーメット・アーテガンやアリスタ・レコードのクライブ・デイビスなどが有名だが、このモー・オースティンは「業界でいちばんアーティストを大切にする経営者」として知られている。
1960年代初め、フランク・シナトラの下で働いた後、イギリスの新進バンドであったあのキンクスと契約。そしてグレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス、ヴァンダイク・パークス、ニール・ヤング、ジェームス・テーラー、ビーチ・ボーイズ、ライ・クーダー、Tレックス、ブラック・サバス、マドンナ、ラモーンズ、ジョン・レノン、ボブ・マーリー、エリック・クラプトン、ダイアー・ストレイツ、マイルス・デイヴィス・・・モー・オースティンがレーベル契約したアーティストはまだまだ続くのだけれど、キリがない。百花繚乱、アメリカ・ポップス音楽の歴史そのまんま。
このオースティンの活躍によって、いまだ創立当初の輝きを残しているのがワーナー・ブラザーズ・レコードだ。その創立50周年記念のボックス。240ページもあるハード・カバーの歴史本とCD20枚分、タブ・ハンターからメタリカまで、全部で320曲のヒット曲、それにTシャツがおまけについている。重さ2.2キロ。これは、どうしても買わねばならない!でもちょっとっ財布が痛む。そうだっ!定額給付金があるではないか!それを前倒しにしてしまおう・・・ということで、思い切ってクリック一発、注文してしまったのです。バカなわたし!
そのボックスが届きました。ハード・カバー作り、豪華な「ワーナー・ブラザースの歴史」本、これだけでも読みごたえ見ごたえあります。

あれれ、でもCDがない。えっ、20枚のCDはどこ?と思わずあせったら、私の大いなる勘違いでした。なんと、全320曲、CDではなく、特性のUSBメモリーに入っていたのです。
たしかにいまはダウンロードで音楽を買って聴く時代。そういえば、ハードディスクに自分の全作品を入れて売り出したアーティストもいたっけ。それにしても約3GBのUSBが一本だけというのも、時代を感じます。

これって「CDを聴く」とか「レコードを聴く」とかじゃなくって、USBを聴くというのかしらね。「昨夜、彼女と一緒に素敵なCDを聴いて盛り上がったよ」じゃなくって、「昨夜、彼女と一緒に素敵なUSBを聴いて盛り上がったよ」になるのでしょうか?うーん、あんまり盛り上がらん感じもしますが・・・。

中に収められている音は、エバリー・ブラザースもコニー・スティーブンスも、グリーンデイズもリンキン・パークも、ヒット曲ばかり。その時代が思い出されます。レコードもカセットもCDもMDも、ビデオもレーザーディスクもDVDも、古いものは、新しいものに代わっていく。でも、音楽はいつまでも、時代を超えて人々の心に残る・・・ということなのでしょうか。
ところで、定額給付金って、くれるのくれないの、どうなんじゃ?!はっきりしなさい!はっきり!!
12月のはじめ、東京は九段の武道館で行われジョン・レノン音楽祭「Dream Powerジョン・レノン スーパー・ライブ」というコンサートに行きました。
まぁ、お客様、ステージの後ろ側、北側の3階席、テッペンまでいっぱい。いまは亡きジョン・レノンの遺志を継いでアジア・アフリカの子供たちのために学校を建設しようという運動をサポートするのがこの音楽祭の目的。今年で八回目、年ごとにお客様が増えて、学校もたくさん建てられています。
日本の人気アーティストたちがジョン・レノンや歌やビートルズ時代のジョンにゆかりのある歌をカバーしたり、詩の朗読をしたり、オノ・ヨーコさんも毎回出演、メッセージを送ります。
今回は、奥田民生、CHAR、吉井和哉、トータス松本、斉藤和義、ゆず、Bonnie Pink、絢香、Love Psychedelico、斎藤ノブ+夏木マリ、詩の朗読は宮崎あおい(敬称略)、などの皆さんが出演。
出演者大熱演のこのコンサート、選曲がアーティストにまかされているので、各人とジョン・レノンとの距離がわかるようで面白い。最初に登場したのが、奥田民生+斉藤和義+ゆず+トータス松本のユニットによる「エブリーボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」、あの「ホワイト・アルバム」の中のシブいロック・ナンバー。きっと奥田民生さんの選曲ではないかしら。宮崎篤姫あおいさんの詩の朗読は「ラブ」と「イマジン」、可愛い。私の好きなデュエットLove Psychedelicoは「ダブル・ファンタジー」から「ウォッチング・ザ・ホイールス」を、そしてトータス松本さんは「ロックンロール」から「スタン・バイ・ミー」を気持ちよさそうに歌っていました。
ジョン・レノンが1975年に発表したLP「ロックンロール」は、ビートルズの大ヒット「カム・トゥギャザー」がチャック・ベリーの「ユー・キャン・キャッチ・ミー」を盗作したものだと相手出版社から訴えられたジョンが、和解のために作った作品といわれています。その制作過程で、高名なプロデューサーであるフィル・スペクターがスタジオでピストルをぶっぱなしたりマスター・テープを持って消えてしまったり、ジョンはジョンで、彼の個人史でいえば最近翻訳本も発表されたいわゆる“ロスト・ウィークエンド”時代、ヨーコさんから離れ楽しい時期だったのかもしれないが、アルコールに溺れかかったりとか、大変な時期でした。
そして、そして、ジョンは、1980年、自宅前で・・・。いつもなにかに脅えていていつも拳銃を肌身離さず持っていたといわれるスペクターは、ご承知のように、2003年、女優さんを射殺するという事件を起こす。ほんと、怖い世の中です。
そういえば、私はこの「ロックンロール」のLP、といっても正確には正規盤ではなかったのですが、このLPの宣伝をテレビ通販で見た覚えがあります。当時、仕事でニューヨークに行っていた時、ホテルの部屋でテレビのローカル・チャンネルをひねると、なんと「ジョン・レノンの新作LPをテレビ通信販売で買いませんか」というお知らせをやっていました。


「欲しいよぉ、聴きたいよぉ」と思いましたが、アメリカで使えるクレジット・カードがないと買えない時代。でもそんなカードは持っていません。今では信じられないほど不便な時代です。ところが、市内のレコード店に行ったらそのLPが置いてあったのです。すでに海賊盤には、厳しい規制があったので、ニューヨークのような大都市の街中で堂々と売られることはなかった時代です。LPの裏面には「ジョン・レノンとアップル・レコードの許可を得ている」と印刷されているけれど、極めて怪しい、粗雑なジャケット、知らないレーベル。

でも、曲目をみて、思わず買ってしまいました。ロックンロールの原点といわれる名曲ばかり、全曲ジョンのお気に入りナンバーだったのでしょう。毎年末のエイズ救済コンサートで自分の好きな曲や影響を受けた曲を歌う桑田佳祐さんもこのLPから企画のヒントを得たのではないかしらね。
しかし、この作品、やはりその発売手続きには多々問題があったようで、すぐに発売停止、商品回収となり、あっさりと市場から姿を消します。そのあとすぐに正規版のLP「ロックンロール」が発売され、現在に至るというわけです。


ジョン・レノンがアイドルだったエルビス・プレスリーは歌手生活後半、「この胸のときめきを」「好きにならずにいられない」「ブルー・ハワイ」などの大ヒットで、多くのファンからはバラッド歌手みたいに思われているけれど、ほんとはロックンローラー。ジョンも同じ。「イマジン」も「ギブ・ピース・ア・チャンス」も今の時期なら「ハッピー・クリスマス」もみな素晴らしいけれど、やはり彼の原点は絶対にロックンロール。そんな意味でもこのレコーディングは重要なものでした。
そうそう、ジョン・レノン音楽祭、大トリにヨーコさん登場。オノ・コードという小さなライトを使って観客と一緒に光のラブ・サインを作り、広いステージを動き回り踊りまくります。あのおトシで、どこにそんなエネルギーが隠れているのか!常に新しいことに挑戦するヨーコさんも、やはりロックンローラーなんですね。いやはや凄いオバサマでした。
中学時代のもう一つの思い出は、遊び仲間とラジオで希望者を募集している試写会に行くことだった。当時はラジオでよく試写会の募集をしていて、クラスの仲間とはがきをたくさん買い込んでは、片っ端から応募していた。5人くらいの仲間で、自分と家族、時には存在しない家族の名前まで書いて応募しまくった。これが結構当たるもので、当たるとみんなしてビデオホールとか、日商ホールとか、ヤマハホールなどへ学校の帰りに観に行った。今はもうどんな映画を観たかは思い出せないが、とにかく試写会へはよく行った。
ジェフ・マルダーの自慢の娘、クレア・マルダー& ザ・リーズンズのJapan Tourを
2月にやります。CD「The Movie」も素晴らしかったし、ライブが楽しみです。
Toms cabin http://www.toms-cabin.com/
♪See Me(ぼくを見て)、 Feel Me(ぼくを感じて)、Touch Me(ぼくを触って)、 Heal Me(ぼくを治して・・・)♪(ピート・タウンゼンド作詞作曲)
コンサート会場全体に観客の歌うコーラスが響きわたったんです。感動!しました。ザ・フーのコンサート、アンコール曲での出来事。
僕が観たのは11月17日の武道館公演。会場に入ってまず、満員のお客さんにびっくりでした。
「単独では初の来日公演」という、ちょっと苦し紛れの、だったら「オリジナル・メンバー揃えろ!」とつっこみを入れたくなるような、プロモーション。関東地方では横浜と埼玉の両アリーナ公演プラス武道館での二回公演。大変な数のお客さんを動員せねばなりません。「大丈夫かしら、たくさんのお客さん、入って欲しいよ」と関係者でもないのに、願っていました。
でも、ノー・プロブレム。スタート時間には二階のてっぺんまで席は埋まり、会場が一瞬暗転、メンバーが板つきになると、観客総立ち。「よく来てくれたね。よくこれまで頑張ったね・・・」そんな感じいっぱいの大きな暖かい拍手で伝説のバンドを迎えます。
「よかった、よかった、よかったねー、ザ・フー。たくさんのお客さんに囲まれて・・・」私、心底そう思いました。
私が現役のラジオ・ディレクター兼ディスク・ジョッキーだった頃、ザ・フーとか、キンクス、スモール・フェイセス、ムーディー・ブルースなどなど、イギリスのバンドでかっこいいバンドたくさんいたのだけれど、もうひとつ通向けでした。新曲を一生懸命オンエアしても、なかなかヒットに結び付かなかった。
みなどちらかというと男子に人気あるバンドで、「どのバンドが好き?」「ザ・フー」なんて答えると「変わったやつ」と見られがちだったんです。日本のバンドでも、はっぴいえんどとか、ジャックスとかのファンだと「性格、暗いのね・・・」なんて言われて終わってしまう時代でもありました。


その頃はビートルズがポップス音楽界を席巻していた時代。それ故でしょうか、イギリスのバンドでしたら、なんでもかんでも「リバプール・サウンド」ってよんでしまう媒体があったぐらいで、ほんと、アホかいな。
ザ・フーのパフォーマンスが圧倒的にすごい!というのは、音楽専門雑誌にもしばしば書かれ、当時の洋楽ロック・ファンの間ではけっこう注目されていたのだけれど、いろいろあったのでしょうか、ほとんどの人気バンドが来日公演を行っているのに、ザ・フーだけはあかんかった。
ロックン・ロール前期ではエルビス・プレスリー、そして後期ではこのザ・フーが「日本に来なかった大物」ではなかったでしょうか。
ポピュラリティーという点ではビートルズとかローリング・ストーンズとかもっと凄い人気バンドがたくさんあるだろうけれど、ロックン・ロール音楽の凄さを体感させてくれるというか、演奏の派手さ、圧倒的な音の大きさ・・・観客をもっとも興奮させるライブ・ステージを最初に作ったのは、このザ・フーであること、間違いありません。オリジナルの4人編成は、正にモンスター・ロックバンドでした。
今回のステージ、あの愛すべきキース・ムーン狂気のドラミングやバンドの柱だったジョン・エントウィッスルのベースがいなくなっても、ピート・タウンゼントは水車回しのギターで、ロジャー・ダルトリーはマイクぐるぐる回しのボーカルで、一生懸命、われわれにザ・フーを感じさせてくれました。
ピート・タウンゼントは彼らの代表作「トミー」を何度もレコーディングしています。その中の一つに、1972年、ロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏、ゲスト・ソロイストにリンゴ・スター、ロッド・スチュアート、スティーブ・ウインウッド、リッチー・ヘイブンス、サンディー・デニーなどを迎え制作されたオールスター・キャスト盤があります。
「トミー」は画期的なコンセプトを持っていました。ですから少しでも多くの方にこの良さを知ってもらいたい、そしてザ・フーのファンになってもらいたいと、僕が制作とおしゃべりを担当していたニッポン放送の深夜放送「オールナイトニッポン」のためこのLPの日本語バージョンを作ったことがあります(1973年の春、2時間番組として放送)。オリジナルの雰囲気やストーリーを壊さないようにと、英語の歌の合間に日本語をかぶせていくという手法をとりました。大変な難作業でしたが、無事録音を録り終え、2時間番組として放送。番組を聴いた多くの方から「大変に、面白かった、良かった」とおほめの言葉をいただいた時は、ほんと、嬉しかった!
そのとき使ったLPレコード、そしてボロボロになった放送台本などが出てきました。役者の方々、当時はみなさん若かった。いまですと、とんでもない豪華なキャスト、超一流どころの声優さんばかり、故山田康夫さんのお名前もみえます。

放送は、こんな風に始まりました。
[このロックオペラ「トミー」は、1919年、第一次世界大戦がまさに終わろうとしている頃、イギリスのある町で生まれたトミーという少年の物語です。ロック・オペラなのに、時代が古すぎないかって?いや、歴史はどの一片をとっても現代そのものなのです。ところで貴方は、モノを見てますか?聞いてますか?そして話してますか?もし、このうちひとつでも、意識的に閉じているとしたら、あなたもこのロック・オペラの主人公トミーと同じかもしれません]
♪See Me(ぼくを見て)、 Feel Me(ぼくを感じて)、Touch Me(ぼくを触って)、 Heal Me(ぼくを治して・・・)♪
・・・今でも充分に通用する、いや今の時代だからこそ必要なテーマ。武道館で聴いた観客のコーラスが時代の声のように思えたのは私だけではないでしょう。
iPodみたいなシリコン・オーディを聴いていると知り合いから「なにを聴いているの?」と聞かれる「うん、僕が若いころのヒット曲が多いよ。聴いていると、なぜか元気が出てくるから・・・」と答えると「ふーん、オールディーズを聴いているんだ」といわれる。そのとおりなんだけれど、面と向かって「オールディーズ、聴いているんだ」といわれると、わたしゃ、急にトシをとってしまったような・・・でも考えたら、いや考えなくってもその通りなんだから、まぁ、しゃ〜ないか。


一般的に、たとえば競争の激しいアメリカ・ラジオ業界の編成フォーマットの区分けなどから判断すると、1950年代中ごろから60年代前半までの、主にアメリカ製ヒット・ポップスをオールディーズと呼んでいる。エルビス・プレスリー、ニール・セダカにコニー・フランシス、ポール・アンカにリッキー・ネルソンなどなど、嗚呼、いい時代でした。そのあと、ビートルズが超人気者になった1964年ごろから70年代中盤までのヒット・ポップス、たとえばクリーム、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、T-レックス、キンクス、クリーデンスなどなどを、クラシック・ロックというジャンルでくくるのが普通の形。クラシック・ロックねぇ、これまた洋楽黄金時代でしたっけ。今の時代、音楽市場はJポップに席巻され洋楽はさっぱりじゃ!
振り返ってみると、今から50年近くも前、1960年ごろ「オールディーズ」と呼んでいたヒット曲は、そのほんの4,5年前、1955年当時のヒット曲だった。いま2008年だから5年前、2003年のヒット曲になる。03年は「世界に一つだけの花」とか「地上の星」などが流行った年。検索したらこの年、他には朝青龍が横綱になった、「エンタの神様」が放送開始、テツandトモの「なんでだろう」が流行語になった・・・などとある。だったらこれら、もうみんなオールディーズの仲間入りかしらね。
オールディーズ音楽はオールディーズ・バット・グッディーズ(Oldies But Goodies?古いけど、いいじゃん!)ともよばれる。そうなのだ、古いことは決して悪いことではないのだ。僕がこの言葉を知ったのは17歳ぐらい。1960年頃だ。アメリカの音楽業界誌ビルボードで、そのまんま「Oldies But Goodies」というタイトルのLPが売れ行き良好ということを知った。その内容は、いろいろなマイナー・レコード会社から発売されているちょっと前のヒット曲がたくさん入っているLPとのことだった。そしてその多くは、当時、日本では手に入れにくいリズム&ブルース(R&B)や黒っぽいロックン・ロール曲だった。



当時の大レーベル、RCAビクターとかコロムビア、キャピトル、デッカなどは、自分たちが発売したレコードの原盤を他社に貸すようなことはしなかった。でもマイナー・レコード会社は小回りがきく。「お金になるのなら、どうぞ使ってちょうだい」ってなもんだったのでしょう。遠くの日本で、運よくラジオ放送で聴くことができたR&Bヒット曲、でも日本のレコード会社は契約がないので発売の予定はない。だから、なんとか、ぜひとも、このLP「Oldies But Goodies」を手に入れたかった。ところが、発売元のオリジナル・サウンドというレコード会社も、これまた大変マイナーな会社で、いくら買い注文を出してもなかなか届かない。



今のようにあちこちに輸入盤を売っている店などほとんどなかった時代。僕の通っていたお店は銀座の日本楽器、輸入盤を扱っていた。洋楽のカタログを見て番号を確認し、注文を出してから3カ月経って連絡が来る。船便で注文を出し、荷物も船便で届くのだ。注文があちらに行くのに一カ月、集荷に一カ月、あちらからこちらまでが一カ月、合計三カ月。
いま考えればウソみたいな時代。多分月に一度位か、何人もの注文が納められた荷が店に届いて、その中に自分の注文した品が入っていなければ「残念でした」ということになる。なんというサービスじゃ!だからなんども注文を出しなおし、やっと数年後、注文したLPが届いた時は嬉しかったねぇ。
このLP、売れ行き好調だったせいか、シリーズものとなり、いまやオールディーズの音盤教科書のような存在になっている。そしてこの企画に続けと、柳の下にどじょうが三匹どころか百匹以上、類似企画が各社から続々発売された。そしてその流れは現在までも続いているのだ。いま、こういった種類のヒット曲寄せ集め企画はオムニバス盤とかコンピレーション盤とかよばれ、大ヒット企画が続々と発売されている。かつては厳しかった各レコード会社間における原盤の貸し借りの融通がつきやすくなったことが、人気企画を生む最大の要因となっているようだ。
いまやダウンロードで音楽を聴く時代。ITのおかげか、店に行って「この曲とあの曲と、それからあれと…」と、自分の好きな曲を選んで一枚のCDやメディアを作ってくれるサービスもはじまっている。音楽もコンビニでの買い物みたい、お手軽になってきている。そんな時代だからこそ、これからはますますオムニバスやコンピレーション企画に、人気が出てくるようにも思うのだ。